6.平成16年度光祭文化部門にて

 平成16年度光祭文化部門の合唱祭は、平成16年10月30日(土)に行われ、10月31日(日)は、講座と地域ふれあいフェスティバルが行われた。平成16年度の郷土史展示は、平成16年10月30・31日の2日間、光ヶ丘中学1Fの渡り廊下で行った。これらの日程は、平成15年度の時と同じである。

 さて、10月30日の朝9時頃、光ヶ丘中学の1F渡り廊下に来てみると、大人の首の高さくらいまでの展示ボードが3個と机が10個ほど、廊下の端の方に並べてあった。これだけの機材で、どうやって、平成16年度の郷土史展示をやるのかと、私の頭の中は、少しパニック状態だった。当然、忙しく動いている教頭先生を呼び止めて、説明を求めた。すると、教頭先生は、「展示ボードは、渡り廊下の真ん中に置いて、両面を使い、それでも足りなければ、机の上に2個の展示ボードを立てかけて使うことにする。机と椅子が足らなければ、これから運びましょう。」とおっしゃった。そのような話をしている間にも、なぜか、私も、教頭先生や他の先生と一緒に、合唱祭の間、座っていることができず、学校内を歩き回る生徒を体育館に戻したり、生徒に立ち会ったりしていた。しかし、教頭先生や他の先生も、机をあと10個、生徒会室から渡り廊下に運ぶのを手伝ってくれた。

 朝9時頃中学校に来てから、展示を配置し終わったのは、午後3時過ぎくらいだった。この時間のかかり方は、平成15年度の時の倍以上だった。その間、生徒の皆様には、私が渡り廊下中に画鋲をばら撒いてしまった時は、一緒に拾ってもらったりして、とても、親切にしていただけた。私が展示の配置を完了し、合唱祭が終わると、生徒の皆様は、渡り廊下にどっと押し寄せてきたといった印象を受けた。

 2日目の地域ふれあいフェスティバルの時は、平成15年度の時より、訪れた人が多かったという印象を受けた。中庭ライブが始まると、楽屋裏である渡り廊下は、人であふれかえった。平成15年度の時は、郷土史展示の行われる渡り廊下に座って、展示を見に訪れる人達が、どのような反応を示していくのか、見守っていたが、平成16年度の時は、渡り廊下に座っている私の頭の中は、この郷土史展示をどのようにホームページにして、インターネットで流すのかということでいっぱいだった。時折この展示を見に訪れる校長先生とも、ホームページの話しかしなかった。

 平成16年度の地域ふれあいフェスティバルは、平成15年度の時より、早く片付けが始まり、午後2時くらいには、他の人達は、皆、片づけにとりかかっていた。私は、光ヶ丘中学校図書室の先生には、午後3時くらいに、展示に使用した図書を返却するという約束をしていたので、人が通らなくなってからも、一人で、渡り廊下に座っていた。というよりは、途方にくれていた。まず、問題なのは、この時点では、篠岡古窯跡群の遺物と発掘調査当時の写真は、光ヶ丘中学校で郷土史展示をするために文化振興課から送っていただいたもので、これらをホームページにして、インターネットに載せて、全世界に発信していいという許可を文化振興課から得ていない。この時点で、郷土史展示のホームページ化を了承しているのは、私と光ヶ丘中学校の校長先生だけであった。しかも、その話は、学校が組織として関わるのではなく、私が、最初から全て一人で作り上げていかなくてはならなかった。私の手元にあるのは、ホームページ作りの素材だけであった。