私は、今年の郷土史展示は、昨年の篠岡古窯跡群のコーナーに加えて、御嶽信仰の展示コーナーを作りたいことを話した。そのためには、昨年の展示パネル37枚に加えて、御嶽信仰の展示パネル45枚を追加して作り、御嶽信仰に関する展示図書も置くことを話した。そして、今年の展示構成計画案をパソコンで作ったものを示した。私の頭の中では、どうしても、使用する展示ボードや机・椅子の数が昨年の倍になってしまうのだった。
私は、他の学校を知らないので、他はどうなのかわからないが、光ヶ丘中学校に関して言えば、何か大きな行事があると、職員室の中までもが混沌とした状態になって、教頭先生は、気の毒なほど忙しくなる。これは、平成15年度の光祭文化部門の前もそうだった。私と話しながら他の先生と別の話題で答える教頭先生や私のいらいらした声も、私と教頭先生の喧嘩したような声も、職員室の中の喧騒にかき消されている。私が職員室の打ち合わせの机に座っていると、今年の地域ふれあいフェスティバルの仕事をするために職員室を訪れた知り合いのPTA役員の方が近ずいてきて、「今年も郷土史展示やるんですか?がんばってください。おやじの会にはもう出ないんですか?昨年のおやじの会の時は本当おもしろかった。今年もまたでてくださいよう。」と声をかけてくる。私は、そのような声を聞くと、「ここで、教頭先生に負けるわけにはいかない!」という気分になるのだった。
私と教頭先生との話し合いで、一番けんかになったのは、展示機材を昨年の倍使用するという点と、展示パネルを全てA3にするという点だった。特に展示ボードは、生徒の方も使用するので、数には限りがあるということだった。展示ボードの数と展示パネルの大きさは、関係してくる。お互い一歩も譲らなかったので、教頭先生は、私の持参した御嶽神社のコーナーに展示する予定の展示パネルの原稿45枚を持って席を立ち、めがねをかけた男性と話し合っていた。
頭に血が上っている私は、このとき、「こいつが校長か!」という気持ちで座っていた。とにかく、頭に血が上っている状態で、初めて校長先生の横顔を見て、「なんか、今日はひげを剃ってないみたいだし、昨日はもしかして徹夜で仕事してたのか?24時間働いているジャパニーズビジネスマンなのか?」と勝手に想像していた。校長先生を知っている人は、私のこのときの想像を聞いたら、失笑するだろう。そのくらい、このときの私は、頭に血が上っていた。
しばらくめがねの男性と話し合ってから、私のところに戻ってきた教頭先生は、「この原稿はしばらく学校で預からせてもらいます。」と言った。私は、あとのことは学校に託そうと思った。このあとは、学校のいうように動くしか仕方がなかった。しかし、私の方は、この時点で、郷土史展示に関する仕事はほぼ終了していて、あとは、展示パネルの原稿をラミネーターでフィルムにかけ、展示作業をするだけだった。展示パネルの原稿が学校にある今は、平成16年度光祭文化部門が行われる日まで、1ヶ月余り、郷土史展示から少し離れることができた。