1.光ヶ丘小学校校長室にて

 光ヶ丘小学校の校長先生に会いに行ったのは、平成16年度光祭文化部門が終わってから間もない日だった。校長先生は、2年前の夏休みの親子除草作業ではちに刺されたときのことを覚えていてくださった。(平成15年度光祭文化部門郷土史展示について「1.東部市民センター図書室にて」参照)私が校長室に入っていくと、じきに光ヶ丘小学校の教頭先生も入ってこられて、校長先生と教頭先生と私の3人で、2〜3時間話をしていた。

 光ヶ丘小学校の校長先生は、光ヶ丘小学校に赴任する前は、青年の家にいた方で、校長先生も教頭先生も生涯教育については、熱心に勉強しておられる方だと聞いた。小牧市教育委員会文化振興課の中嶋さんには、「学校教育も生涯教育も教育委員会の中では同じだ。」と怒られたことのある私だが、このホームページを作るにあたって、私の頭の中では、どうしても、「学校教育の中で生涯教育を行う。」ということについて、整理がつかないのだった。郷土史展示を中学校で行ったこの2年間は、実は、成り行きに任せたところが多分にあって、このホームページを作る今のように悩んでこなかった。その2年間のつけが、今、一気にまわってきたような気がして、どうしても、光ヶ丘小学校の校長先生や教頭先生に相談しないではいられなかった。

 光ヶ丘小学校の校長室で、2〜3時間話しこんだが、結局、自分がもやもやと悩んでいることについては、解消できなかった。しかし、現状のまま、ホームページを完成させるしかないことだけはわかった。校長先生には、「今日のことは、あなたにとっては、何の解決にもならなかったと思うが、私にとっては、とても仕事のためになった。また、話にきてください。」と言われた。

 ところで、郷土史展示について、光ヶ丘小学校の校長先生や教頭先生と話をして、自分で決めることができたことが1つある。それは、このホームページを完成させることと同時に、来年度の光祭文化部門や地域ふれあいフェスティバルでは郷土史展示は行わないということだ。光ヶ丘小学校の校長室で、「郷土史展示を今後どうしたいのか。展開させたいのか、それとも、今のまま続けていくのか。」と尋ねられた私は、「郷土の歴史を学校で子供たちに教えていってほしい。」と答えた。すると、校長先生や教頭先生は、「地域ふれあいフェスティバルは、打ち上げ花火と一緒で、あげたらそれで終わってしまう。郷土史展示を永く続けていきたいという主旨のイベントとは違う。」と言うのだった。

 このときの話し合いをきっかけとして、郷土史展示をホームページにし、地域ふれあいフェスティバルや合唱祭からは撤退したのだが、今振り返ってみても、光ヶ丘中学校文化祭や地域ふれあいフェスティバルにおける郷土史展示からこのホームページを立ち上げるまでにあたって、協力していただいた人は全員が男性であった。時々、学校行事で、学校に行くと、教員の方々は女性の方が多く見受けられるが、郷土史展示からホームページをたちあげるまで私のまわりにいた人々は、全員男性だった。そのような環境で、このホームページは出来上がってきたのだった。