光ヶ丘中学校の校長先生と会って、いろいろ話をしたが、郷土史展示の反省といっても、特になかった。先生は、このホームページの進み具合を気にしておられた。私は、お金を使わずにホームページを作ることにしているので、メモ帳にタグを打っていく方法で作っていると答えた。合唱祭と地域ふれあいフェスティバルという行事に関しては、校長先生もいろいろ考えるところがあるようだった。今年までは、合唱祭と地域ふれあいフェスティバルを2日間続けてやっていたが、来年は、合唱祭と地域ふれあいフェスティバルは切り離すと聞いたのは、このときだった。もともと、光祭文化部門は、合唱祭だけやっていたので、それを元に戻すということだが、私は、「ずっとこの日程でやってきたのに、そんなことが本当にできるのだろうか。」と思った。しかし、平成17年度になってみると、本当に、合唱祭と地域ふれあいフェスティバルの日程が分かれていたので、校長先生は、やるといったらやる人なのだと思った。
結局、このホームページの題名が決まったのは、このときから3ヵ月後くらいだった。私としては、このホームページの中に、郷土史展示で展示した内容のものを入れることはもちろんのこと、桃花台ニュータウンや、平成15年度と平成16年度の光ヶ丘中学校文化祭において、この郷土史展示を行ったということを入れたいと校長先生に説明した。そのことに関して、校長先生は、賛成することも反対することもなく、ただ、このホームページ作成に関しては、全てを私個人に任せるつもりらしかった。このとき以降、現在に至るまで、校長先生とは、一度も顔を合わせていない。校長先生が私の作るホームページに関して意見を言ってきた事は一度もない。おそらく、次に校長先生の顔を見るのは、息子の卒業式のときだと思う。
ところで、なぜ、私が、このホームページの題名を「光ヶ丘中学校区文化資料の世界」としたのか。それは、光ヶ丘中学校の文化祭で行った郷土史展示のほかにも、この校区には、様々な都会の文化や田舎の文化が混在していて、それらの文化をローテーションさせながら紹介していきたいと思っているからだ。私としては、このホームページを歴史物だけで終わらせる気はない。このホームページが地域の文化の発信源になればいいと思っている。