4.光ヶ丘中校長先生と初めて会う

 ところで、私は、月末になると、来月の仕事の休みの日を決めるために、必ず、子供の通う学校の年間スケジュールをチェックする。私は、学校の行事は、優先的に出席しようという方針で、パートの仕事をしている。従って、ある日、来月の仕事のスケジュールをチェックしようと思って、息子の通う中学校のホームページを見たら、びっくりした。中学校のホームページが昨年とは全く変わっていた。変わっていなかったのは、PTAのページだけだった。しかも、職員のページを見ると、校長先生が、毎日仕事日記を公表していた。この校長先生の日記は、まさしく、仕事のことしか書かれていない。この日記がおもしろいかどうかは、読む人によって、決まってくると思う。

 新しくなった光ヶ丘中学校のホームページは、毎日写真が更新されていて、子供を通学させている親にとっては、確かに、子供の毎日の姿が分かって、便利である。しかし、光ヶ丘中学校のHPの中で、新しくなった段階から、まだできていないページがあった。それが、「校区・地域紹介」と「受賞・表彰記録等」のページである。この2つのページは、いつかは、なくなるだろうと思っていたのだが、一向になくならないし、新しく作られてもいない。

 「3.平成16年度光祭体育部門前の光ヶ丘中職員室」のことがあってから以後のある日、校長先生の仕事日記に、「先生方や保護者の方々もホームページ作りに参加してほしい。」というような意味の文章が書かれてあったので、私は、さっそく、「光ヶ丘中学校のHPに郷土資料館を作ろう。」という題名のメールを校長先生宛に送った。このメールは、題名の通り、私が、平成15年度と平成16年度に中学校の文化祭で行った郷土史展示を、光ヶ丘中学校のHPの中の「校区・地域紹介」のページに載せるという内容のメールで、校長先生からのメールの返事は、すぐに来た。「一度お会いして、話をさせていただきたい。日時については、また、こちらからご連絡いたします。」

 平成16年度光祭文化部門まで、あと一週間くらいになろうとしたある日、私は、御嶽神社の展示の原稿にラミネーターフィルムをかけるために、光ヶ丘中学校の職員室に来ていた。原稿41枚は、全て、A4にして、ラミネーターで、フィルムをかけるようにと教頭先生からの指示があった。そのときは、まだ、展示ボードの数の話はしなかった。私が、作業に取り掛かろうとしていると、一人の先生が私のところに来て、「校長先生が、呼んでみえますので、私と一緒に校長室に来てください。」と言われた。私は、先生について、校長室に入っていった。
 「メールの田中さんですか?私が、校長の玉置でございます。」と頭を下げられた校長先生が、「3.平成16年度光祭体育部門前の光ヶ丘中職員室」で見た同じ人だとは、とても思えなかった。後から教頭先生に聞いた話によると、私が、校長先生に、郷土史展示をホームページにしようとメールを送った時より随分前から、校長先生は、教頭先生に、郷土史展示のホームページ化について、話をしていたそうである。そして、教頭先生は、「郷土史展示は、田中さんが個人的にやっておられることですから。」と、校長先生に返事をしたらしい。教頭先生は、郷土史展示のホームページ化については、私の個人的な判断に一任したということだった。