2.光ヶ丘中学校おやじの会

 「おやじの会」で、google検索をすると、80万件以上ヒットする。PTAのように、1つの学校に必ず1つあるという組織ではない。あるところにはあるが、ないところにはない。こういう会が存在することは新聞で読んで知っていたが、実際には、どういう組織なのか、想像できなかった。

 私の息子が光ヶ丘中学に入学した平成15年(2003年)の春、「光ヶ丘中学校おやじの会」の入会のお知らせの通達を息子がもらってきた。その通達には何と「女性の方の参加も歓迎します。」と書いてあった。その一文が記述してあったおやじ会の通達はその時だけで、その後のおやじ会の入会の通達にはそのような文面は見たことがない。

 「おやじ会」というものにすごく興味を持った私は、息子におやじ会入会申込書を持たせて、春の総会に出席した。総会は、土曜日の光ヶ丘中学校長室で行われた。出席者は、男性5人と私1人、オブザーバーとして、光ヶ丘中学校教頭先生とPTA役員(そこに座っていたのは、全員女性だった。)が座っていた。

 私がおやじの会の集会に出席した目的は、この地域に、篠岡古窯跡群の資料を紹介し、地域の人々に、篠岡古窯跡群というものを知ってもらうことにあった。具体的には、光ヶ丘小学校か光ヶ丘中学校の空いているコーナーに篠岡古窯跡群の出土遺物を置いて、篠岡古窯跡群資料館のようなものを作ることである。そのためには、そのコーナーを作って管理していく組織が必要になるので、その責任者をおやじの会で出してくれないか、というのが、主旨であった。

 私が「桃花台ニュータウン遺跡調査報告書」で読んだ通りのことをおやじの会の集会で話すと、そこに座っている人は、1名を除いて、全員その事実を知らない様子だった。従って、皆、篠岡古窯跡群のことをとても興味津々で聞いていた。私は、皆、こういう話を見たり聞いたりすることは大好きなのだと思った。しかし、篠岡古窯跡群の資料館を作って、管理していくという話になると、皆、しりごみするのだった。おやじの会自体、その時点で、様々なイベントを抱えていて、そのイベントをこなしていくことに手一杯だという印象を受けた。

 私は、大学で、学芸員資格取得の勉強をし、講義の先生方から、「文化財行政は、できる限り人とお金を使わないように知恵を絞らなければいけない。地方では、保存方法の知識がなく、文化財を修復不可能にまでいためてしまっているケースや、掛け軸の裏表がわからず、裏向きに掛け軸を展示しているケースもある。ここにいる皆さんは、大学で、文化財についての知識を身に付けていらっしゃるのですから、地方の博物館に行って、「これはおかしい。」と思ったら、遠慮なく、職員に言ってあげてください。」と授業で教えられた。小牧市は、篠岡古窯跡群の出土品を、小牧山の頂上にある小牧市歴史館というところで展示をし、「桃花台ニュータウン遺跡調査報告書」を東部市民センター図書室に置き、中学校では、教科書の副読本「小牧(中学校編)」の中で、篠岡古窯跡群の紹介をし、それを生徒全員に配布している。つまり、小牧市教育委員会では、文化財行政の最低限のところは押さえている。それなのに、なぜ、桃花台ニュータウンに住んでいるおやじの会やPTAの役員の方々や、光ヶ丘中学校の教職員は、篠岡古窯跡群の事実を知らなかったのか。なぜ、私が「桃花台ニュータウン遺跡調査報告書」のことを話すと、皆こんなに興味津々と聞くのか。そして、おやじの会の集会に座っていた人々は、自分たちで、篠岡古窯跡群の文化財を管理していくことをなぜあんなにいやがるのか。

 とにかく、「光ヶ丘中学校の中に篠岡古窯跡群の資料館を作り、おやじの会でそれを管理する。」という私の案は、却下された。このとき以降、私がおやじの会に顔を出すこともなくなった。しかし、私がおやじの会で話した篠岡古窯跡群の話が、静かな池に石を投げたように、波紋を広げていたのを知ったのは、もう少し時間がたってからだった。