平成16年度光祭文化部門郷土史展示の計画案を教頭先生のところに持っていったのは、G.W明けの平日だったという記憶がある。教頭先生と話をするのは、昨年の12月以来だった。教頭先生には「田中さんは、なかなか学校に顔を見せてくれませんねえ。もっと学校に来たらいいのに。」と言われながら、私は、校長先生が変わって、中学校で何か新しくなったところはないのだろうかと観察しながら、平成16年度の郷土史展示の計画案を説明した。教頭先生は、昔、「小牧の文化財 第十七集 小牧の御嶽信仰の石造物」(編集・発行 小牧市教育委員会 平成11年3月)という本を書いた研究員の1人だったので、今年の郷土史展示は、篠岡古窯跡群に加えて、御嶽神社の展示もやると言うことに対しては、理解が早かった。私は、平成16年度の郷土史展示の流れとして、柳田国男の「数千年来の常民の習慣・俗信・伝説には必ずや深い人間的意味があるはずである。」という言葉を紹介してから、光ヶ丘4丁目にある御嶽神社の説明をし、次に、沖縄の御嶽信仰を紹介し、与那国島の海底遺跡を紹介し、最後は、世界神話の紹介と地球と人類の起源と進化の過程の説明でしめくくるという説明をした。
教頭先生は、「今年の展示のテーマは壮大ですね。ただ、御嶽神社の説明だけでなく、沖縄まで話をのばすのは行き過ぎではないですか。」と言うので、私は、「私は、生徒の皆様に、歴史の事実を伝えたいのではなくて、御嶽神社の展示を通して、歴史というものの考え方のダイナミズムを伝えたい。これは、歴史だけではなく、他の全ての教科につながる考え方です。事実を覚えるだけなら、歴史の授業なんてつまらない。いろいろな事実をつなぎあわせて、いろいろなことを考えるから、歴史はおもしろいのではないですか。」と、思わず、力説した。教頭先生は、「わかりました。平成16年度の光祭文化部門は、まだ先の話ですが、こういうことは、早ければ早いほうがいいです。」と言われた。私は、「もし、郷土史展示の話がなしになったら、連絡してください。私は、今から展示の準備にかかります。もし、郷土史展示の話がなくなったら、次の機会が訪れるまで、待っています。」と言って、職員室を後にした。
教頭先生との話に没頭しながら、職員室の中に「めがねをかけた校長先生」を探してみたが、めがねをかけている人は多く、このとき、新しい校長先生に会うことはなかった。職員室の中は昨年と変わることのないいつもの職員室だった。結局、郷土史展示の話がなしになったという連絡は入らなかった。しかし、今から振り返ってみると、平成16年度光祭文化部門は、地域ふれあいフェスティバルも含めて、昨年よりも、計画的に行われていたような気がする。それは、早めに計画を立てておかなければ、展示をやらせてもらえなかったということを意味する。平成15年度の時より、5ヶ月ほど早く計画案を持ち込んで、正解だった。