「愛知県版 最新理科便覧」(浜島書店編集部編著 (株)浜島書店 2005年12月発行)10〜11ページ「愛知県のおいたちと化石のページ」に掲載された「約300万年前の東海地方」の図を参考にして、このホームページ管理人が東海三県の地図の上にペイントで書き込んだ東海湖の略図です。ペイントで書き込んだ東海三県の地図は、「スーパーマップル東海三県道路地図」(昭文社 2000年7月発行)の見開きのページにある「東海主要部索引図」を使用した。
八田川は、小牧市の東部丘陵地帯にある太良まめなしの里公園周辺を源流として、南西方面に向かって流れ、名古屋市北区楠木町味鋺にある水分橋あたりで庄内川に合流する、11.6kmの一級河川である。八田川流域には、源流のある太良まめなしの里公園周辺から庄内川に合流するまでの間に、様々な遺跡が存在している。その代表的なものは、二子山古墳という大きな前方後円墳で、八田川は、源流に近い流域にある下原古窯跡群で作った埴輪などを二子山古墳まで運ぶために利用された川であることは、有名である。
そして、このホームページ管理人が八田川流域で注目するのは、平安時代(8世紀末から12世紀末)に八田川流域が朝廷の権力闘争の舞台となった可能性があることだ。つまり、八田川流域にある遺跡をめぐっていると、菅原氏と藤原氏の闘争が見え隠れする。八田川流域が、平安時代(8世紀末から12世紀末)には、朝廷の軍事拠点となり、八田川流域で生産される武器をめぐって、菅原氏と藤原氏が激しく争っていたのではないかとこのホームページ管理人は想像することができる。八田川流域に存在する遺跡を巡って、八田川という川を紹介することがこのページの主旨です。
マメナシ自生地隣にある太良上池(だいらかみいけ)岸辺はこのようになっています。2024年4月10日13時53分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。
大久佐八幡宮の桜と鳥居の写真。2014年4月このホームページ管理人撮影。
大草城跡の現在の様子。2014年4月このホームページ管理人撮影。
春の福厳寺の様子。2014年4月このホームページ管理人撮影。
大草地域を流れる八田川。2011年8月このホームページ管理人撮影。
朝宮公園から八田川に沿って南へ、二子山古墳まで行く。