2.苗田山にある人の痕跡

苗田山略図

このホームページ管理人が作成した苗田山の略図です。

 苗田山に入ってみると、苗田山の中には、様々な時代の人の痕跡が存在していることがわかる。それらの人の痕跡の中から、「2.苗田山にある人の痕跡」のページでは、調査などによって、事実が判明しているものについて、取り上げる。上の苗田山略図では、「東部配水池」「廃止された児童遊園」など、単語によって記されているものである。なお、上の苗田山略図の中で、数字と英字で記されているものは、「3.苗田山にある石造物」のページにて取り上げることにする。

1.東部配水池

2.馬頭観音

3.廃止になった児童遊園

4.4体の石仏群

5.愛知用水大山トンネル

6.大山会館

7.大山会館駐車場と小牧巡回バス野口大山停留所

8.集団墓地

9.稲垣さん墓

10.崩落現場

1.東部配水池

東部配水池

東部配水池は愛知用水に関係する重要な施設のようです。愛知用水は、木曽川の水を知多半島南端まで運ぶ重要な水路で、昭和36年(1961年)に完成した。愛知用水幹線の総延長は112km、日間賀島、篠島、佐久島にまで及ぶ支線は、1012kmに及ぶ。愛知用水によって、ため池や井戸に頼り、干ばつに苦しめられてきた地域の水事情が著しく向上した。愛知用水は、愛知県の農業面、工業面、生活面になくてはならない用水である。(Wikipedia愛知用水参照)

 2018年現在、東部配水池の前を通り、直接児童遊園空き地に行くことはできません。児童遊園空き地へは、東部配水池の上まで登り、東部配水池の裏に回って東側に進み、9ドーム型石造物から眼下に見える児童遊園空き地に下りるルートで行くか、アクトカンキョウテック(株)東隣にある11墓地の入り口から苗田山を登るルートで行きます。2018年4月23日このホームページ管理人撮影。

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2.馬頭観音

馬頭観音

10苗田山もう1つの登り口から山を出たら、東側に少し行ったところに大きな家があり、その家の前に小屋に入ったこの馬頭観音がある。「篠岡百話」(篠岡中学校 昭和57年(1982年)7月発行)によると、この馬頭観音は、高さ38cm、幅23cm、厚さ17cmの大きさのもので、明治45年(1912年)にこの家の人によって建てられたそうである。当時、その家では、馬を飼っていて、その馬で生計を立てていたが、その馬が死んだので、この馬頭観音を建てたそうだ。それから、この家では、ずっと、この馬頭観音を信仰し、僧侶に頼んで供養してもらい、花を立てているのだそうだ。苗田山を登っている間は、けがをしないように緊張の連続だったので、山を下りて、この馬頭観音を見た時は、なんだか、ほっとした。

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3.廃止になった児童遊園

「子供が減り、児童遊園を放棄しました。以前は子供会で掃除をしていました。遊具もありました。」(Terunobu Hashimoto氏談)

 廃止になった児童遊園へは、東部配水池の上まで登り、東部配水池の裏に回って東側に進み、9ドーム型石造物から眼下に見える児童遊園空き地に下りるルートで行くか、アクトカンキョウテック(株)東隣にある11墓地の入り口から苗田山を登るルートで行くことができます。

9ドーム型石造物から眼下に見える児童遊園空き地の写真

9ドーム型石造物から眼下に見える児童遊園空き地。2018年4月23日撮影。

廃止になった児童遊園の写真

廃止になった児童遊園。2018年10月9日撮影。

児童遊園空き地から9ドーム型石造物方面を撮影した写真

児童遊園空き地から9ドーム型石造物方面を撮影した写真。この写真の左側の山の中に9ドーム型石造物があり、右側の木立の中に4体の石仏群がある。2018年10月9日撮影。

廃止された児童遊園から中央自動車道小牧東インターチェンジ方面を望む写真

廃止された児童遊園から中央自動車道小牧東インターチェンジ方面を望む。2018年10月9日撮影。

廃止された児童遊園から桃花台ニュータウン方面を望む写真

廃止された児童遊園から桃花台ニュータウン方面を望む。2018年11月8日撮影。

廃止された児童遊園から見上げる9ドーム型石造物の写真

廃止された児童遊園から見上げる9ドーム型石造物. この右側の木立の中に4体の石仏群がある。2018年10月9日撮影。

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4.4体の石仏群

4体の石仏群の写真

9ドーム型石造物から廃止された児童遊園に下り、9ドーム型石造物に向かって右側の木立の中に4体の石仏群がある。2018年10月9日撮影。

 4体の石仏群については、「篠岡百話(復刻版)」(篠岡中学校 昭和57年(1982年)7月発行)503ページ「仙元大日如来他(4)」(足立 孝)に詳しい調査結果が書かれていますので、ここで、原文を掲載します。

「仙元大日如来他(4)

 この石仏は、明知線の名鉄バス野口大山停留所のすぐ北側にある小高い山の頂上にある。この山には、途中まで舗装した道があるが、傾斜が非常に急である。そこを登っていくとまた一段と急な作ったばかりの階段がある。まわりにはたくさんの木があり、ときどき野鳥が飛び立つ。しかしこの山の頂上に何か作るらしく工事中のようである。もしかするとこの石仏もこの工事でけずられてしまうのではないかと心配した。階段を登り終わって右の方に出ると、ちょっとした広場がある。そのすみに4つの石仏がならんで立っていた。あとでわかったが、この山を秋葉山というのだそうだ。

一番右端の石仏の写真

一番右端の石仏の写真は、2018年10月9日撮影。

 まずいちばん右はしの石仏は、高さ53cm、幅35cm、厚さ25cmである。正面に「那智山、村中安全、西国同行二人」、右側面に「明治三十五年三月」、左側面に「橋本善朋」と書いてある。正面にほられている仏は、足の裏をあわせ、あぐらをかいているようなかっこうをしている。左手は左足のひざの上、右手のひじを右足のひざの上にのせている。右足のうしろからもう一本足が出ている。頭にずきんをかぶり、背にくわややりなどをかついでいる。ふつうの顔の形で笑っている。

右から二番目の石仏の写真

右から二番目の石仏の写真は、2018年10月9日撮影。

 右から二番目の石仏は、高さ43cm、幅25cm、厚さ15cmである。正面に「高野山、村中安全、四国同行二人」、右側面に「明治三十五年三月」、左側面に「橋本善明」と書いてある。ほられている仏は、きちんとすわっている。左手はひざの上、右手は胸もとにあって何か持っている。顔は丸顔で笑っている。

右から三番目の石仏

右から三番目の石仏の写真は、2018年10月9日撮影。

 右から三番目の石仏は、高さ39cm、幅23cm、厚さ9cmである。仏をほったあとがわかる程度で、文字も何も見えない。

左はしの石仏

左はしの石仏の写真は、2018年10月9日撮影。

 左はしの石仏は、高さ52cm、幅25cm、厚さ15cmである。正面に「仙元大日菩薩、村中安全」と書いてある。まだほかに書いてあるが読めない。仏はほられていない。

 これらの石仏について、付近に住んでいる橋本浦太郎さん(65歳)にいろいろ伺ってみたことをまとめてみた。右はしと右から二番目の石仏は、橋本善明という人が、那智山・高野山などへ参拝して、その記念としてこの地に建てたもので、あとの二つの石仏もおそらく同じようにどこかの参拝記念として建てられたものだろうということ。昔、この付近のおもにリーダー格の人がこれらの石仏を信仰していたということ。それから、高野山や那智山に行くかわりだといって信仰する人も少数いたらしいということ。そして現在は、石仏がそこにあるということさえあまり知られていなくて、もちろん保護もされていない。現在伝わっている話といえば、その橋本善明という人が、高野山・那智山の仏様を分身としてこの地に持ってきたということぐらいだろうということだった。

 これらの石仏の名称は、いちばん左はしの石仏から取って「仙元大日菩薩」とした。しかし、あとの三つは、付近の家を回って聞いてみたがどうしてもわからなかった。(足立 孝)」

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5.愛知用水大山トンネル

愛知用水大山トンネルの写真

苗田山東南部に開けられた愛知用水大山トンネル。2018年4月12日このホームページ管理人撮影。

 木曽川の水を知多半島まで届ける愛知用水は、入鹿池近くの県道明治村小牧線にある白山トンネルから地下に潜り、大山の地下を通って、苗田山東南部に開けられた大山トンネルから地上に出る。愛知用水大山トンネルから地上に出た愛知用水は、東へ流れ、東南方向に向きを変えて、大山ホタルの里近くにある大神トンネルから再び地下に潜る。

愛知用水看板

苗田山東南部に開けられた大山トンネルから地上へ出て、東へ向かう愛知用水に掲げられた看板。2018年4月28日このホームページ管理人撮影。

愛知用水大神トンネル

大山トンネルから地上に出た愛知用水は、大山ホタルの里近くにある大神トンネルから再び地下に潜る。2018年4月28日このホームページ管理人撮影。

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6.大山会館

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7.大山会館駐車場と小牧巡回バス野口大山停留所

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8.集団墓地

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9.稲垣さん墓

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10.崩落現場

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以後、更新していきますので、お楽しみに。(続く)

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