3.大山3号墳

大山廃寺と大山古墳群の地図

「小牧市遺跡分布地図」(小牧市教育委員会 1991年3月発行)の上にこのホームページ管理人がペイントで書き込んだものである。

正面から見た大山3号墳

正面から見た大山3号墳である。2017年10月1日このホームページ管理人撮影。

上から見た大山3号墳

上から見た大山3号墳である。2017年10月1日このホームページ管理人撮影。

大山3号墳は、ちごの森駐車場から白山神社へ登る道を入ってすぐの所にある。

大山3号墳のある白山神社登山道入り口

大山3号墳のある白山神社登山道入り口の写真である。この写真の左側にある藪の中に大山3号墳がある。2017年10月1日このホームページ管理人撮影。

 大山3号墳は、なだらかな斜面を掘りくぼめて石室が築かれている。石室の長さは、約3mあり、幅は約1mある。50kgから100kg程度の石を両側に積んでいる。石質は、大山付近にある花崗岩であるが、天井石や遺物は全く見当たらず、出土したという言い伝えもない。しかし、大山3号墳は、7世紀後半から8世紀にかけての後期古墳である。大化2年(646年)に出された造墓令(薄葬令)は、古墳の造り方について、次のように規定している。

 「大礼から小智までの身分の者(上から6番目以下で、庶民の上)の規模は、長さ9尺(3m弱)、広さは4尺(1m強)、墳丘はなしで、夫役(墓を造る人々)は1日50人」

大山3号墳の石室は、およそ、この規定に相当する。

参考文献「小牧市史 資料編1(文化財編)」小牧市史編集委員会編集 小牧市 昭和50年(1975年)3月発行

 ところで、大山連山の中には、無数の古墳が存在していて、それらの古墳を総称して、野口・大山古墳群という。しかし、それらの古墳の全てが墳丘がなく、石室が崩れているわけではない。むしろ、墳丘がなく、石室が崩れている古墳の方が少数である。墳丘が東側だけ残されていて、石室が崩れている古墳が、大山1号墳である。墳丘がなく、石室が一部しか存在しないのは大山2号墳である。墳丘と天井石がないのは大山3号墳である。墳丘がなく、石室が上部から破壊されているのは神尾前古墳である。墳丘の南側だけが破壊されていて、石室が無事なのが野口古墳である。墳丘も石室も無事だが、墳丘の一部に穴が開いているのが北新池古墳である。その他の名もない多くの古墳は、墳丘が小山のように残っていて、墳丘の上に土留石が残っている古墳もある。

 大山3号墳は、大山1号墳や大山2号墳と同じく、選ばれて破壊された古墳ではないだろうか。大山3号墳の近くにある大山4号墳やその他の名もない古墳は、墳丘は破壊されず、葺石も残っている。

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