篠岡111号窯

篠岡111号窯発掘調査跡地に建てられた説明板の写真

篠岡111号窯発掘調査跡地に建てられた説明板。2017年9月このホームページ管理人撮影。

 小牧市教育委員会社会教育課が平成2年度(1990年度)に行った小牧市内遺跡分布調査にて、新たに発見された古窯跡が篠岡111号窯である。111号窯の発見後、小牧市教育委員会社会教育課は、桃花台建築事務所に遺跡の発見を連絡した。そして、桃花台建築事務所によると、この地域は緑地としてそのまま保存する予定で、工事などの予定はない、とのことであった。しかし、平成4年(1992年)12月になって、桃花台建築事務所は、当初の計画に変更ができ、古窯の取り扱いについて、協議したいという申し入れを小牧市教育委員会社会教育課に対して、行ってきた。

 平成4年(1992年)12月、中央高速道路桃花台バス停近くにあった御嶽神社のある場所までニュータウンが建設されることが決まり、御嶽神社が111号窯のある場所に移転することになったためである。桃花台建築事務所からの協議内容は、緑地の整備とその工事方法であり、社会教育課では、111号窯に影響を与えることなく工事を実施できる可能性が高いと判断した。従って、社会教育課では、桃花台建築事務所に対して、遺跡保護のための詳細な基礎資料を得るべく、遺跡の範囲を確認する調査を実施し、その結果を踏まえて、再度協議を行うことを提案した。桃花台建築事務所としては、緑地整備事業を急いでおり、平成4年度中に方向付けをしたい意向であった。そして、平成4年(1992年)12月25日に桃花台建築事務所から社会教育課に対して、試掘調査の依頼書が提出された。これを受けて、社会教育課では、平成5年(1993年)2月8日から発掘調査に着手し、平成5年(1993年)2月23日まで、篠岡111号窯発掘調査が行われた。

篠岡111号窯発掘調査報告書3ページにある「挿図2 篠岡111号窯現況地形測量図」の上に、篠岡111号窯説明板にある図を参考にしながら、このホームページ管理人がペイントで書き加えたもの

上の図は、篠岡111号窯発掘調査報告書3ページにある「挿図2 篠岡111号窯現況地形測量図」の上に、篠岡111号窯説明板にある図を参考にしながら、このホームページ管理人がペイントで書き加えたものである。

 篠岡111号窯は、飛鳥時代から奈良時代(7世紀末から8世紀初頭)にかけて操業したとみられる須恵器窯で、篠岡丘陵の東斜面、篠岡古窯跡群の東端にあたる光ヶ丘4丁目(旧大字大草字古宮)地内、標高70mの場所に位置する。篠岡111号窯がある周辺は、古窯跡の分布密度が比較的低い地域で、111号窯が発見されるまでは、周辺には古窯跡はないものと見られていた。111号窯に最も近い古窯跡は、500mほど西にある光ヶ丘中学校グラウンド裏にあたる篠岡97号窯だが、篠岡97号窯は、111号窯よりも新しい灰釉陶器焼成窯(平安時代)である。111号窯と同時期にあたる須恵器窯ということになると、西北に800mほどの距離にある篠岡60号窯(光ヶ丘2丁目、奈良時代)が最も近い。

 篠岡111号窯の窯体の状況は、表面観察からは、造成による削平で、水平方向に切断されていることが推測された。発掘調査の結果、窯体の前面の地山をかなり深く掘り込んで、前庭部や焚口などの作業面を造り出していて、窯体は、削平面の末端から約6m内側まで残っていた。また、2層の灰層が確認され、溝状の落ち込みを埋めた後に新しい灰層が堆積していて、連続して、粘土を貼り付けた面や焼土塊が認められたことから、111号窯は、操業途中で窯体構造に改造を加えたものと考えられた。この改造によって埋めた土中から、陶製土管(篠岡111号窯説明板に載っているもの)が完全な形で出土した。

 検出された窯体は、長さ4m、検出面での最大幅1.8m、最小幅1.2mを計測し、造成時に重機による削平を受けて、下部のみが残っていた。灰原部分は、地表から約30cmの浅い位置に、幅10m、長さ15mの範囲でほぼ良好な状態で残っていた。遺物の散布は、窯体に近い斜面上方で多い。表土層や表土層下に堆積する層から、かなりまとまった遺物の出土が認められた。かなり広範囲にわたって、遺物が散布することが明らかになったが、最も斜面下方では、排水溝やごみ穴掘削による影響を受けており、残っている状況は良好ではない。

篠岡111号窯発掘調査跡地遠景の写真

篠岡111号窯発掘調査跡地遠景。2017年11月このホームページ管理人撮影。

 篠岡111号窯の主体を占める遺物は、須恵器である。須恵器の種類は、杯、杯ふた、高杯、盤、鉢、平瓶、横瓶、甕、陶錘など多様である。その他には、陶製土管が数個体出土した。出土した陶製土管のうち、完全な形のものは、長さ78.5cm、直径12〜9cmで、片方が細くなっている。(篠岡111号窯説明板に載っているもの)陶製土管は、短い円筒形を多数つなぎ合わせて作られており、内部に布目痕などは認められない。外面は、叩き痕を残すものとヘラ削り調整を施されたものとがある。

 111号窯出土遺物の中で、注目されるのが陶製土管である。この陶製土管を作る技術は、寺院造営に伴う瓦生産の技術と共に、新たに中央から導入された可能性が高い。飛鳥時代から奈良時代にかけて、篠岡111号窯の存在した地域にある寺院といえば、大山廃寺である。篠岡111号窯で作られた陶製土管が大山廃寺で使われていたとすると、大山廃寺自体、中央と密接につながった寺院だったのではないだろうか。

<参考文献>

「遺跡範囲確認調査報告書(U)」小牧市教育委員会 平成5年(1993年)3月発行

篠岡111号窯説明板(平成17年(2005年)10月 小牧市教育委員会)

篠岡111号窯発掘調査跡地がある御嶽神社入り口の写真

篠岡111号窯発掘調査跡地がある御嶽神社入り口。2004年7月このホームページ管理人撮影。