篠岡古窯跡群とは

 古窯跡とは、古代に皿・壺などの焼きものを生産した窯の跡のことである。愛知県西部(尾張)地方の古代における焼き物の生産地は、庄内川をはさんで、名古屋東部から日進市、長久手市などを中心とする猿投山西南麓古窯跡群と、小牧市、春日井市、犬山市に広がる尾北古窯跡群に分けられる。そして、尾北古窯跡群の中心にあったのが、篠岡古窯跡群である。篠岡古窯跡群が存在した篠岡丘陵では、7世紀から12世紀までの古窯跡117基が見つかっている。

 7世紀以降、尾北古窯跡群の中核的役割を果たした篠岡古窯跡群は、10世紀後半が生産のピークであった。その後、12世紀前半の無釉陶器の生産を最後に、篠岡丘陵で窯は造られなくなった。この頃から、猿投や尾北での焼き物の生産は衰退していく。そして、この頃から、現在まで続く瀬戸や常滑での陶器生産が始まるのである。古代の焼き物生産地が12世紀前半に衰退していった理由としては、原料となる粘土の不足と、古代から中世にわたって、貴族社会から武家社会へと社会のしくみが変わったことがあげられる。

 20世紀の後半、篠岡古窯跡群が存在した篠岡丘陵の中心部に開発されたのが、桃花台ニュータウンである。そして、現在もなお、篠岡丘陵は開発が進んでいる。桃花台ニュータウンの開発の歴史は、篠岡古窯跡群の発掘調査の歴史でもある。

県下の古窯跡群の図

上の図は、「小牧(中学後編)」(小牧市教育委員会 2007年3月発行)53ページに掲載されていた図をコピーしました。

<参考文献>

「小牧(中学校編)」小牧市教育委員会発行

「桃花台ニュータウン遺跡調査報告4.5.6.7」愛知県建築部・小牧市教育委員会発行

「篠岡112号窯発掘調査報告書」小牧市教育委員会発行

篠岡56号窯現在地近くの桃花台西の写真

篠岡56号窯現在地近くの桃花台西にて。2017年11月このホームページ管理人撮影。

(7から12世紀の世界の動き)

589年 中国 隋が中国を統一する。

610年 アラビア半島 マホメットがイスラム教を開く。

618年 中国 唐が中国を統一する。

676年 朝鮮半島 新羅が朝鮮を統一する。 イスラム帝国、唐の文化が栄える。

907年 中国 唐が滅びる。

936年 朝鮮半島 新羅が滅び、高麗が朝鮮を統一する。

960年 中国 宋がおこる。

980年 中国 羅針盤と火薬を発明する。

1050年 中国 活字(陶製)印刷術を発明する。

1054年 ヨーロッパ キリスト教がギリシャ・ローマ両教会に分裂する。

1096年 ヨーロッパ 第1回十字軍遠征。

1127年 中国 宋が滅び、南宋がおこる。

1167年 中国 朱子学がおこる。

(7から12世紀の日本の動き)

593年 聖徳太子が推古天皇の摂政となる。

607年 小野妹子らが遣隋使として、隋にわたる。

630年 第1回遣唐使が送られる。

645年 大化の改新が始まる。

672年 壬申の乱がおこる。

701年 大宝律令ができる。

710年 平城京に都が移される。

743年 懇田永年私財法が出される。

794年 平安京に都が移される。

805年 最澄が唐より帰国する。

806年 空海が唐より帰国する。この頃から、藤原氏が摂政や関白になり、摂関政治が始まる。

894年 遣唐使が廃止される。

(地方政治の乱れと武士の発生)

935年 平将門が関東で反乱をおこす。

939年 藤原純友が瀬戸内海で反乱をおこす。

(摂関政治が最も栄える。)

1016年 藤原道長が摂政となる。

(武士の成長)

1051年 前九年の役がおこる。

1083年 後三年の役がおこる。

(源氏が東国に勢力を伸ばす。)

1086年 白河上皇が院政を始める。

1120年 平氏が西国に勢力を伸ばす。

1156年 保元の乱がおこる。

1159年 平治の乱がおこる。

1167年 平清盛が太政大臣になり、力をふるう。

1175年 日宋貿易が行われる。

<年表参考文献>

「中学社会 歴史的分野」中学校社会科用 大阪書籍株式会社 平成15年2月10日発行

日本地図の中の愛知県小牧市の位置の図

篠岡古窯跡群地図

上の地図は、「小牧市遺跡分布地図」(小牧市教育委員会 1991年3月発行)の上に、小牧市内の地図を参考にしながら、このホームページ管理人がペイントで書き加えたものです。

篠岡47号窯

篠岡47号窯移設地点

篠岡81号窯

篠岡87・96号窯

篠岡97号窯

篠岡104号窯

篠岡112号窯

篠岡56号窯

篠岡66号窯

篠岡111号窯