篠岡112号窯

篠岡112号窯発掘調査の写真

篠岡112号窯発掘調査当時、平成5年(1993年)の写真

 篠岡112号窯は、平成2年度に小牧市が実施した、市内詳細遺跡分布調査によって、新発見された古窯跡である。篠岡112号窯が発見された時、階段状に開墾された桃畑には灰層が露出し、遺物が散布している状態であった。小牧市教育委員会社会教育課では、この地域に農業公園を整備する計画を進めている小牧市農務課に遺跡の新発見を連絡して、平成4年(1992年)2月に試掘調査を実施した。この試掘調査の結果に基づき、小牧市教育委員会と農政課は再度協議をし、窯跡の遺存状況は良好ではない上に、農業公園造成計画の変更が困難なことから、篠岡112号窯の記録保存を前提にして、発掘調査を実施することにした。篠岡112号窯の発掘調査は、小牧市教育委員会を調査主体として、平成5年(1993年)1月20日から3月4日まで実施された。発掘調査は、最後に空中写真測量を実施し、調査終了後は、埋め戻しを実施した。

 遺構は、開墾によって削られた部分もあったが、保存状態の良好な灰原を検出した。この発掘調査による出土遺物には、須恵器、陶錘、灰釉陶器などの陶器類と石鏃などの石器類がある。このうち、灰釉陶器と石器類は篠岡112号窯に伴う遺物ではない。従って、篠岡112号窯は、須恵器を生産していた窯であり、遺構の天井部が全く遺存しないことから、天井の落下等によって放棄された窯であると考えられる。

篠岡112号窯出土の須恵器の写真

篠岡112号窯で出土した遺物である須恵器の杯蓋、杯、椀等。

 篠岡112号窯の発掘調査によって、篠岡古窯跡群における、7世紀後半から8世紀にかけての須恵器窯の変遷をたどることが可能となった。

 7世紀後半に篠岡丘陵で開始された須恵器窯は、8世紀には、尾張における須恵器生産の中心地となる。篠岡古窯跡群は、須恵器とともに瓦類を焼成する窯が存在することと、須恵器類においての多様な硯の生産が特徴であるが、篠岡古窯跡群における須恵器生産は、篠岡81号窯以降は、衰える。なお、篠岡窯における須恵器生産については、篠岡78号窯にあるように、「飛鳥地域中枢部や伊勢国の公的施設」に供給されたと考えられる窯もあるが、篠岡112号窯においては、在地向けの生産を基盤としていたと考えられる。

篠岡112号窯現在地だと思われる場所の周辺でみつけた風景の写真

篠岡112号窯現在地だと思われる場所の周辺でみつけた風景。2005年5月このホームページ管理人撮影。

 ところで、篠岡112号窯の現在地は、桃花台ニュータウンと目と鼻の先でありながら、自然が豊かに残っている地域である。篠岡112号窯周辺は、池が点在している。桃花台ニュータウンのある土地も、ニュータウン開発前は、随所に小湿原が見られたらしいが、その名残が現在でもこの地域に残っている。

篠岡112号窯現在地だと思われる場所の写真(2005年5月)

篠岡112号窯現在地だと思われる場所。2005年5月このホームページ管理人撮影。

 篠岡112号窯の発掘調査が行われた場所は、現在、農業公園の建設予定地の中にある。農業公園の建設は、平成6年以降、止まったままである。農業公園入口付近の土地の収用がまだできていないからと聞いた。篠岡112号窯現在地である農業公園建設予定地は、立ち入り禁止の柵が置いてあるが、地元の人は、この柵を乗り越えて、生活道路として使っているようなので、私も、中に入らせてもらった。

 ここが篠岡112号窯現在地だと自信を持っていえるわけではないが、地元の方の説明をもとにして、農業公園建設予定地を歩き回っていると、青いビニールシートの残骸が残り、発掘調査の現場ではいつも使われているような柵が1個だけ転がっている窪んだ場所にたどりついた。ここが、篠岡112号窯現在地だと思う。

篠岡112号窯現在地だと思われる場所の写真(2005年5月)

篠岡112号窯現在地だと思われる場所。2005年5月このホームページ管理人撮影。

<参考文献>

「愛知県小牧市大字野口地内 篠岡112号窯 発掘調査報告書」小牧市教育委員会発行 平成6年3月31日