篠岡47号窯

篠岡47号窯灰原土器出土状況の写真

篠岡47号窯 灰原土器出土状況

 「私が駆けつけた時には、陶器の破片が一面に広がっていた。桃花台ニュータウン遺跡と言えば、そのイメージしかない。」

 これは、小牧市教育委員会文化振興課の中嶋氏から聞いた話だ。平成15年度(2003年度)の小牧市立光ヶ丘中学校の文化祭で、篠岡古窯跡群を取り上げることになって、文化振興課を訪れた私に、中嶋氏が話してくれたこの言葉を伝えたくて、このホームページを作成した。

篠岡47号窯出土灰釉陶器の写真

篠岡47号窯出土灰釉陶器A

 愛知県小牧市城山2丁目地内に所在した篠岡47号窯の発掘調査は、愛知県建築部桃花台建設事務所から小牧市が調査委託を受け、(株)鉄建建設の協力を得て、小牧市教育委員会によって、平成元年(1989年)10月12日から11月4日まで、実施された。文化振興課の中嶋氏は、当時、調査の担当者だった。

 このときの発掘調査では、コンテナ40箱程度、3500個体を越える遺物の出土があった。遺物は、窯業製品である灰釉陶器、須恵器が中心で、他に、窯道具、土師器煮沸具があった。なお、出土遺物の中では、灰釉陶器が全体の68%を占めており、椀、皿、瓶類を中心として、豊富な器種を出土した。一方、須恵器は、全体の32%を占めており、蓋杯類を中心に出土した。出土した須恵器に見られる特徴としては、杯に高台を有するタイプが存在しないこと、蓋はつまみを有しないタイプが大半を占めることがあげられる。

篠岡47号窯出土灰釉陶器の写真

篠岡47号窯出土灰釉陶器B

 ところで、篠岡47号窯は、昭和48年(1973年)に窯体と灰原の一部を調査している。この時はまだ、篠岡47号窯は、桃花台ニュータウンの中央公園内に入る計画で、現地保存できる可能性があった。

 しかし、その後の桃花台ニュータウンの計画変更によって、篠岡47号窯は、現地保存が不可能になってきた。このため、愛知県教育委員会の指導のもと、愛知県桃花台建設事務所と協議した小牧市教育委員会が、平成元年(1989年)に篠岡47号窯の全面発掘調査を実施した。そして、篠岡47号窯は、桃花台ニュータウン中央公園内に移設保存されることになる。出土遺物・実測図は、小牧市教育委員会文化振興課で保管・管理することとなった。

 また、篠岡47号窯は、尾北窯の灰釉陶器編年の標識遺跡として、著名な存在であったが、その後の発掘調査と研究によって、須恵器窯から灰釉陶器焼成窯へと転換する時期の尾北窯を代表する古窯跡となった。篠岡47号窯の窯体構造は、平面的な変化が少なく、床面傾斜角もあまり強くない比較的細長い窯体である。篠岡47号窯式の灰釉陶器を焼成した窯には、他に篠岡104号窯などがある。なお、「桃花台ニュータウン遺跡発掘調査報告7」によると、篠岡47号窯は、猿投からの職人集団が移動してできた窯とは、考えにくく、昔から篠岡に住み、伝統的な須恵器生産技術を有する職人集団が、猿投窯から灰釉陶器の技術を受け入れて成立した窯であるとのことである。

<参考文献>

「桃花台ニュータウン遺跡調査報告7」 愛知県建築部・小牧市教育委員会発行

篠岡47号窯発掘作業風景の写真

篠岡47号窯発掘作業風景(西から)、城山二丁目中央公園入口付近

篠岡47号窯発掘調査全景の写真

篠岡47号窯発掘調査全景(南西から)、城山二丁目中央公園入口付近

篠岡47号窯現在地の写真

篠岡47号窯現在地(城山2丁目、桃花台パークヒルズ駐車場付近)2003年このホームページ管理人撮影

桃花台中央公園に移設保存された篠岡47号窯の写真

桃花台中央公園に移設保存された篠岡47号窯、2003年このホームページ管理人撮影