移設前の御嶽神社の様子。「小牧の文化財 第十七集 小牧の御嶽信仰の石造物(小牧市教育委員会 平成11年(1999年)3月発行)」15ページの写真を使う。
小牧市教育委員会が作成した御嶽神社とその周辺の地図にこのホームページ管理人がペイントで書き込んだもの。
平成4年(1992年)12月までは、御嶽神社は、上の地図の「御嶽神社があった所」の地点にあった。現在では見る影もないが、「御嶽神社があった所」には、小さな山があり、御嶽神社の石碑と石像が上の写真のように並べられていた。しかし、桃花台ニュータウンの建設が行われることになり、御嶽神社にあった石碑と石像は、「現在の御嶽神社」の地点に移設された。このホームページ管理人は、「山が両端から崩されていって、最後には、祠と石碑・石像だけになり、その後、祠と石碑・石像が現在の御嶽神社の場所に移されていった。」という話を聞いた。
「小牧の文化財 第十七集 小牧の御嶽信仰の石造物(小牧市教育委員会 平成11年(1999年)3月発行)」16ページにある移設前の御嶽神社配置図。
現在地へ移設前の御嶽神社は、標高80mの丘陵の頂上にあった。丘陵の頂上には、祠があり、祠の横に二体の行者像と御嶽登山供養塔の碑、摩利支天が祀られ、参道の両側に石碑が並んでいた。
昭和30年代(1955年〜1964年)までは、大草地区の有志が心願講を組織して、御嶽登山に出かけていた。中秋の名月(10月の満月の頃。「国立天文台 中秋の名月」参照。)の時には、大草地区の人たちに呼びかけて、除草や清掃を行っていた。除草・清掃の後には、お供え物をして、心経をあげ、お祈りをした。お祈り後には、お供え物を持ち寄った家々で分けていた。
参考文献
「小牧の文化財 第十七集 小牧の御嶽信仰の石造物」小牧市教育委員会 平成11年(1999年)3月発行
御嶽神社があった所の現在地を西側から見る。2017年12月このホームページ管理人撮影。
御嶽神社があった所の現在地を北側から見る。2017年12月このホームページ管理人撮影。