このホームページ管理人が作成したAブロック略図である。
大久佐八幡宮入口の写真である。神社入口から拝殿まで見通せるまっすぐな参道が、この神社の特徴である。2013年1月このホームページ管理人撮影。
石標柱1
神社の入り口にて、参拝者に大久佐八幡宮を語っている石標柱である。正面に、「郷社 正一位大久佐八幡宮」と刻まれ、裏には、「侯爵 徳川義親 謹書」と刻まれ、道路側側面には、「昭和十三年九月 建之」と刻まれ、反対側側面には、「奉納 名古屋市 鈴木寛次郎 石工 岡崎市 天野石材商会」と刻まれている。
石燈籠1
文化十二年十月十日日付の常夜灯である。文化十二年は、1815年江戸時代末期で、浮世絵に代表される化政文化が発達した頃のことである。1815年から52年後の1867年に江戸幕府は滅び、明治時代が始まる。
石燈籠2
風化が進んで、日付などの常夜灯に刻まれた文字が読み取れない。しかし、石燈籠1と対のものなので、石燈籠1と同じ時期にできたものであろうと推測する。
石柱
上の図の右の石柱には、「昭和五年二月建之」と刻まれており、左の石柱には、「大草在郷軍人班」と刻まれている。
Aブロックの第一鳥居をくぐり、石標柱2から第二鳥居までの風景の写真である。2011年8月このホームページ管理人撮影。
石標柱2
正面に「正一位大久佐八幡宮」と刻まれ、参道に向けられた面には、「大正十四年十一月 陸軍歩兵少尉白石 ラ」と刻まれ、裏面には、「愛知県農会長 堀尾茂助書」と刻まれている。
石燈籠3
大正十五年一月日付のものである。
第二鳥居を下から見上げた写真である。2014年3月このホームページ管理人撮影。
第二鳥居
現在、拝殿に掲げられている「正一位大久佐八幡宮」の神号額は、戦前までは、第二鳥居に掲げられていた。