太良(だいら)まめなしの里公園

 太良(だいら)まめなしの里公園は、八田川源流である、白兵池(しらべいけ)・太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)という3つの農業用ため池を中心とし、令和6年(2024年)にできた緑地公園だ。特に、太良上池(だいらかみいけ)の東側池辺に自生するマメナシは、平成23年(2011年)に愛知県天然記念物に指定された。

東海三県を形成する美濃帯と飛騨帯

 ウェブサイト「5日本列島の地質構造区分と主な地質体 5-1日本列島形成に関する考え方」(山口大学理学部地球科学標本室・ゴンドワナ資料室)の中の図6「西南日本の地質区分と主な地質体」を参考にして、このホームページ管理人が東海三県の地図の上にペイントで書き込んだ美濃帯と飛騨帯の略図です。ペイントで書き込んだ東海三県の地図は、「スーパーマップル東海三県道路地図」(昭文社 2000年7月発行)の見開きのページにある「東海主要部索引図」を使用した。

 地球が誕生したのは、今から約46億年前のことだと考えられている。今から約1億5000万年前に、赤道付近で形成された濃尾平野の基盤となる美濃帯が、2024年現在の日本のある位置まで移動してきた。その後、美濃帯が基となって、美濃帯の南側に濃尾平野が形成されていく。一方、今から約3000万年前、ユーラシア大陸の東端(現在の朝鮮半島北部からロシアにかけての地域)で地殻変動が起きて裂け目ができ始め、飛騨帯がユーラシア大陸東端から2024年現在の日本のある位置まで移動し始める。そして、日本海が形成される。今から約1500万年前、美濃帯の南側はまだ海(あたたかくて浅い海)が広がっていたが、今から約300万年前になると、海は後退して、陸が増える。

今から約300万年前に存在した東海湖の略図

「愛知県版 最新理科便覧」(浜島書店編集部編著 (株)浜島書店 2005年12月発行)10~11ページ「愛知県のおいたちと化石のページ」に掲載された「約300万年前の東海地方」の図を参考にして、このホームページ管理人が東海三県の地図の上にペイントで書き込んだ東海湖の略図です。ペイントで書き込んだ東海三県の地図は、「スーパーマップル東海三県道路地図」(昭文社 2000年7月発行)の見開きのページにある「東海主要部索引図」を使用した。

 今から約300万年前は鮮新世といい、地球の気候は寒冷で、その後に訪れる氷河時代につながる。地球が寒冷であった時代には、日本列島はユーラシア大陸とつながっていたという説もある。今から約440万年前には、アフリカで、初期の人類である猿人(アウストラロピテクスなど)が出現したと考えられている。(ウェブページ「コトバンク 鮮新世」参照)そして、今から約300万年前に、愛知県西部、岐阜県南部、三重県北部に広がる濃尾平野と伊勢湾は、東海湖という大きな湖の中にあった。東海湖は、あたたかい湖だった。(つまり、温泉だったとこのホームページ管理人は考える。温泉は、ビッグバンに由来するという説もある。)

 やがて、東海湖の底にある砂礫層を中心とする堆積物は、時代が進むと、地殻変動で隆起し、丘陵地や低山が形成される。地殻変動で隆起した丘陵地や低山の地質は、崩れやすく、栄養分がたまりにくい。崩れやすく、栄養分がたまりにくい地質に自生する植物は、東海丘陵要素植物群という植物群を形成する。崩れやすく、栄養分がたまりにくい地質のもとでは、東海丘陵要素植物群以外の植物は生育しにくい。東海丘陵要素植物群は、世界でも主に日本の愛知県西部、岐阜県南部、三重県北部の貧栄養な湿地、沢沿い、荒れ地に生育する。太良上池(だいらかみいけ)の東側池辺に自生するマメナシは、東海丘陵要素植物群の1つで、マメナシ自生地としては、愛知県下最大規模である。(太良(だいら)まめなしの里公園にある説明板参照。)

 つまり、太良(だいら)まめなしの里公園周辺は、今から約300万年前にこの地域に存在した東海湖に由来する。そして、太良(だいら)まめなしの里公園を源流として流れる八田川も東海湖に由来するとこのホームページ管理人は考える。そして、八田川流域には、二子山古墳を始めとする遺跡がたくさんある。

このホームページ管理人が作成した太良(だいら)まめなしの里公園から流れる八田川周辺(春日井市立松原中学校付近まで)の地図

このホームページ管理人が作成した太良(だいら)まめなしの里公園から流れる八田川周辺(名鉄小牧線まで)の地図

 上の地図は、このホームページ管理人がペイントで作成した。太良(だいら)まめなしの里公園を源流として流れる八田川流域は、古墳時代(3世紀から6世紀)には、古墳の埴輪や食器などを作る古窯跡群ができ、平安時代(8世紀末から12世紀末)には、朝廷と直結した古窯跡群や製鉄所跡ができる。八田川流域にある平安時代(8世紀末から12世紀末)の古窯跡群や製鉄所跡には、平安時代(8世紀末から12世紀末)の日本の政治闘争が色濃く反映されているとこのホームページ管理人は考える。

 このページでは、太良(だいら)まめなしの里公園で撮影した写真を公開します。

1.太良上池周辺の太良(だいら)まめなしの里公園

2.太良上池と太良下池の間にある太良(だいら)まめなしの里公園

3.太良下池周辺の太良(だいら)まめなしの里公園

1.太良上池周辺の太良(だいら)まめなしの里公園

太良(だいら)まめなしの里公園周辺の地図

このホームページ管理人がペイントで作成した太良(だいら)まめなしの里公園周辺の地図です。

太良(だいら)まめなしの里公園の駐車場がある場所の隣の写真

太良(だいら)まめなしの里公園の駐車場はこの写真に見える山の上の左隣にあります。この写真の場所から振り返ると太良上池(だいらかみいけ)と太良(だいら)まめなしの里公園がある。この写真に写る山の左側に白兵池がある。白兵池に行くためには、この写真に写る山を上って、山の上にある老人憩いの家と駐車場に行く。そして、駐車場の左側にある大良神社の向こうに白兵池はある。2024年4月10日13時52分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

前の写真の山に登る道の写真

前の写真の山に登る途中の道です。山の上に大良神社と老人憩いの家があるので、大良神社への参道ということもできる。2024年4月11日14時16分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

山の頂上の空き地の中央にある老人の家の写真

前の写真の山を登ると、頂上に広い空き地があり、空き地の中央に老人憩いの家が建っている。この写真に写る老人憩いの家の左向こうに写る建物は、東部工業団地の建物です。この写真に写る東部工業団地の建物の右隣には、年上坂池がある。2024年5月24日13時50分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

山の頂上の空き地の左側隅にある大良神社の写真

前の写真の山を登ると、頂上に広い空き地があり、空き地の中央に老人憩いの家が建っているが、老人憩いの家の左隣、頂上の広い空き地の左隅に、ひっそりと大良神社が建っている。2024年4月11日14時17分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

大良神社全景の写真

大良神社全景です。2024年4月11日13時46分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

向かって右側から見た大良神社の写真

大良神社に近づくと、石碑があるのが見える。石碑に大良神社の説明が彫られている。2024年5月24日13時50分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

大良神社にある石碑写真

大良神社にある石碑には、次のようなことが刻まれている。

「大良神社改築記念碑 創建 昭和37年(1962年)10月14日 鎮座地 小牧市大字大草字年上坂5963番地 祭神 天照皇大神 改築 平成3年(1991年)5月吉日 総工費 3738900円 御改築縁起 当大良神社は、小牧ヶ丘開拓地に入植した人たちにより創建され、開拓地の鎮守として氏子崇敬の的であったが、終古の風雨に社殿の老朽も激しく、ここにおいて、氏子一同、再建の方向につき検討を重ねるとともに、しばらく、大嘗祭を記念し(昭和の時代から平成の時代に変わったことを記念し)、大方各自のご篤志を仰ぎ、社殿の改築事業の竣工を見るに至る。平成3年(1991年)5月吉日 敬白 大良神社改築工事委員会」

この石碑の後ろに白兵池がある。2024年4月11日13時47分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)まめなしの里公園駐車場の写真

前の写真の山を登って、広い空き地にある老人憩いの家から道路に出て、左隣に太良(だいら)まめなしの里公園駐車場がある。この写真の太良(だいら)まめなしの里公園駐車場の向こうに見える三角屋根の建物が老人憩いの家です。この写真に写る老人憩いの家の向こうに写る大きな建物は、東部工業団地の建物です。この写真の右側に写る木立の向こうに白兵池がある。2024年5月24日14時28分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)まめなしの里公園駐車場の中から道路側を写した写真

太良(だいら)まめなしの里公園駐車場の中から道路側を見ると、カミツキガメに注意の看板が見える。この写真の後ろ方向に白兵池があるので、白兵池にカミツキガメがいるのか、それとも、年上坂池にカミツキガメがいるのかはわからない。この写真の道路の向こうに見える木立は、東部工業団地の木立です。2024年5月24日14時29分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)まめなしの里公園駐車場の中から見る白兵池の写真

太良(だいら)まめなしの里公園駐車場の中から白兵池を見ることができる。2024年5月24日14時29分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

年上坂池横の小道から老人憩いの家を眺めた写真

老人憩いの家から道路を渡った場所、東部工業団地の中に年上坂池がある。この写真の右側に写る建物は老人憩いの家です。2024年5月24日13時54分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

年上坂池の写真

年上坂池横の金網越しに撮影した年上坂池です。緑色の藻が水面を覆っている。年上坂池の向こうに見える建物が東部工業団地の建物です。2024年5月24日13時52分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

年上坂池の正面から見る太良(だいら)上池の写真

年上坂池の正面から道路を渡ると、田の向こうに太良(だいら)まめなしの里公園の説明板がある建物が見え、説明板がある建物の向こうに太良(だいら)上池が見える。2024年5月24日13時55分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

大良神社に向かって左側にある白兵池(しらべいけ)の写真

大良神社に向かって左側にある白兵池(しらべいけ)を金網越しに撮影する。2024年4月11日13時56分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

白兵池(しらべいけ)と太良上池(だいらかみいけ)をつなぐ水路の写真

白兵池(しらべいけ)は、太良上池(だいらかみいけ)と水路でつながっている。この写真の水路の向こうに見えるのは水田だが、水田の向こうに太良上池(だいらかみいけ)と太良(だいら)まめなしの里公園がある。この写真では木々に隠れて見えない。2024年4月11日13時54分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

北東方向から見る白兵池(しらべいけ)の写真

 2024年4月11日13時59分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

老人憩いの家から道路に出て、道路を左側に進むと年上坂交差点がある。年上坂交差点を左折すると、左側に、この写真の白兵池(しらべいけ)を見ることができる。太良(だいら)まめなしの里公園にある説明板には次にようにある。

「白兵池(しらべいけ)周辺には、ヨシ原、ハンノキ林、コナラ林が生育しており、このあたりのため池の自然環境の典型が残っています。ヨシ群落には、ゴウソ、チゴザサ、ミゾソバなど種類豊富な湿生植物がみられます。」

 公園として整備された太良上池(だいらかみいけ)にはない魅力が白兵池(しらべいけ)にはあると私は考えます。私は、白兵池(しらべいけ)の池辺に入っていこうという勇気がない。白兵池(しらべいけ)周辺は、今から約300万年前にこの地域に存在した東海湖に由来する。そして、白兵池(しらべいけ)の岸辺には、コバノミツバツツジが生息しており、春になると赤い花を咲かせる。私は、小牧市大山・野口で、ミツバツツジの群落を多く見たが、小牧市大山・野口の場合、ミツバツツジの群落は、古墳周辺に生息するという考えを持っている。現代人が墓に花を手向けるように、小牧市大山・野口に古墳を構える人々は、古墳に、ミツバツツジの群落を植えるというのが私の考えだ。

太良上池(だいらかみいけ)から太良下池(だいらしもいけ)と八田川方面を眺めた写真

 太良(だいら)まめなしの里公園の説明板がある建物の前から太良上池(だいらかみいけ)を眺める。この写真に写る太良上池(だいらかみいけ)の向こうには太良下池(だいらしもいけ)があり、太良下池(だいらしもいけ)の向こうへ八田川が流れていく。太良(だいら)まめなしの里公園にある説明板には次にようにある。

「太良上池(だいらかみいけ)から東の浅い水域にはヨシ原が広がり(この写真の正面から右側)、北東側はマメナシ自生地につながっています。(写っていないがこの写真の左側)南東(この写真の左側にあるマメナシの次に出てきます。)及び西側にはコナラ林が生育しています。」

2024年4月10日13時51分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良上池(だいらかみいけ)東側にあるマメナシ自生地遠景写真

 太良上池(だいらかみいけ)東側にあるマメナシ自生地です。木の上にある白い部分はマメナシの花で、この写真を撮影した時期は、花が散りかけていた。この写真の向こうに見える建物は、東部工業地域の建物です。マメナシ自生地のすぐ近くにまで、東部工業地域の建物が進出してきている。2024年4月10日13時52分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

マメナシ自生地隣にある太良上池(だいらかみいけ)岸辺の写真

 マメナシ自生地隣にある太良上池(だいらかみいけ)岸辺はこのようになっています。太良(だいら)まめなしの里公園にある説明板に書かれていることを要約すると次のようになる。

 農業用ため池を維持するために行われてきた日本の伝統的な管理方法をこの地域では「かいどり」「池こね」「かいぼり」「池干し」という。「かいどり」は、稲作が終わる晩秋から早春にかけての農閑期に池の水を抜き、天日に干し、池の底に堆積したヘドロや土砂を取り除いて肥料にし、獲った魚を利用するといった一連の作業のことだ。栄養塩類を含んだ泥や水をため池から排出し、池の底を空気にさらして、微生物による分解を促進することで、水質を浄化するという農業目的の他に、外来生物駆除のために「かいどり」が行われることもある。2024年4月10日13時53分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良上池(だいらかみいけ)岸辺の野鳥観察エリアの写真

 太良上池(だいらかみいけ)には、年中、野鳥が飛来してくる。アオサギやカルガモ、オシドリ、コガモなどたくさんの種類の野鳥がだ。このエリアは、太良(だいら)まめなしの里公園ができる前までは、藪の向こうに池があるイメージで、野鳥の親子が池に浮いていて、誰にも教えたくない秘密基地のような場所だった。この写真の場所は、人々に開放されたというイメージを私は持っている。この写真には写っていないが、この写真の場所では、コガモの親子などが本当に観察できる。この場所に野鳥が飛んで来たら、静かに観察しましょう。ところで、この場所の辺りに藤の花があったのですが、どうなったでしょうか。2024年4月10日13時40分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良上池(だいらかみいけ)岸辺のヤマツツジの写真

 太良上池(だいらかみいけ)岸辺の野鳥観察エリアから山の中に入っていく散策路があり、そこにヤマツツジが生えていた。白兵池(しらべいけ)にあるコバノミツバツツジとはまた違うツツジのようだ。最初に見たとき、ミツバツツジと間違えた。2024年4月10日13時42分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良上池(だいらかみいけ)東部の岸辺に咲くマメナシの花の写真

 太良上池(だいらかみいけ)東部のマメナシ自生地にいくつかあるうちの1本のマメナシの花です。2024年4月10日13時54分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。2024年4月10日、マメナシの花は散りかけていて、木の上部に咲いているものが見られた。

 太良(だいら)まめなしの里公園にある説明板によると、太良(だいら)まめなしの里公園にあるマメナシは、平成23年(2011年)に愛知県が指定した天然記念物で、日本の環境省のレッドリストでは絶滅危惧ⅠB類、愛知県のレッドデータブックでは絶滅危惧ⅠA類となっている。太良(だいら)まめなしの里公園にあるマメナシ自生地は、国内最大の自生地の1つで、他から移植された1個体を含み、約20個体のマメナシがまとまって生育している。マメナシは、世界の中でも、日本、朝鮮半島中部、中国中南部、ベトナムに点分布するバラ科の小高木で、高さ8~10mになり、4月上旬に白い小さい花を咲かせる。マメナシの果実は、直径約1cmで、晩秋に熟す。日本におけるマメナシの分布は、愛知県、岐阜県、三重県に限られている。(今から約300万年前の東海湖に由来しているからだと考えられる。)愛知県内に現存するマメナシの個体は、200程度であり、都市化の影響を受けて育ちにくい状況になっている。太良(だいら)まめなしの里公園にあるマメナシは、幼木も育っており、極めて貴重である。

太良上池(だいらかみいけ)南東部の岸辺から太良上池(だいらかみいけ)東部にあるマメナシ自生地を眺めた写真

 太良上池(だいらかみいけ)南東部の岸辺から太良上池(だいらかみいけ)東部にあるマメナシ自生地を眺める。この写真の正面にマメナシ自生地がある。この写真の左端に木々に隠れて写る建物は、説明板がある建物です。2024年4月10日14時このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

 「篠岡百話」(復刻版)(篠岡中学校 昭和57年(1982年)7月発行)によると、太良上池(だいらかみいけ)があり、水田地帯があって、太良下池(だいらしもいけ)があるという現在のような姿になったのは、18世紀(江戸時代後期)頃のことで、波多野喜衛門という人を中心にして造られたそうです。(弘化2年(1845年)に大草村の庄屋が江戸幕府尾張藩に提出した村絵図には、太良上池(だいらかみいけ)があり、水田地帯があって、太良下池(だいらしもいけ)がある様子が書かれている。)明治24年(1891年)10月28日に起こった濃尾大震災で、太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)の堤防が決壊して、収穫直前の稲はダメになり、小牧市大草の人家も被害を受けた。濃尾大震災の復興のために、太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)の一部の水の権利を持っていた春日井市東野町は、太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)の水の権利を全て小牧市大草に戻した。

 では、江戸時代以前(17世紀以前)の太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)周辺はどうなっていたのだろうか。それを知る手がかりを私は持っていない。しかし、太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)周辺には、今から約300万年前にあった東海湖に由来する東海丘陵要素植物群が存在していることから、江戸時代以前(17世紀以前)の太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)周辺には、東海湖に由来する水たまりのような池が無数に点在していたのではないかと私は想像する。

太良上池(だいらかみいけ)南東部の岸辺の写真

 太良(だいら)まめなしの里公園の説明板によると、この写真に写るのは、コナラ林です。太良上池(だいらかみいけ)南東部岸辺から太良上池(だいらかみいけ)北部にある説明板のある建物方向を撮影する。2024年4月10日13時31分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良上池(だいらかみいけ)南東部の岸辺から太良上池(だいらかみいけ)西部にある岸辺方向に撮影した写真

 太良上池(だいらかみいけ)南東部の岸辺から太良上池(だいらかみいけ)西部にある岸辺方向に撮影した。2024年4月10日14時1分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)まめなしの里公園の説明板によると、この写真に写るのは、コナラ林です。そして、コナラ林は、この写真の正面に写る太良上池(だいらかみいけ)西部の岸辺にもある。

 ところで、この写真は、太良上池(だいらかみいけ)南東部の岸辺から太良下池(だいらしもいけ)に至る散策路で撮影した。しかし、太良上池(だいらかみいけ)南東部の岸辺から太良下池(だいらしもいけ)に至る散策路は、足場がデコボコしている土の道なので、気を付けて歩いてください。私は、この散策路をスマホをいじりながら歩いていたところ、転んでしまい、その時、自分の体よりスマホのことを心配した。

太良上池(だいらかみいけ)から太良下池(だいらしもいけ)を眺めた写真

 太良上池(だいらかみいけ)から太良下池(だいらしもいけ)を眺める。この写真を撮影した場所から後ろに振り向くと太良上池(だいらかみいけ)がある。この写真の水田地帯の向こうに太良下池(だいらしもいけ)があり、この写真の太良下池(だいらしもいけ)の右側からこの写真の中央に向かって八田川が流れる。この写真の右側に写る建物群は、桃花台ニュータウンで、この写真の左端の桜の木の陰に写る建物は愛知文教大学の体育館です。2024年4月10日14時12分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良上池(だいらかみいけ)のマメナシの実の写真

 2017年11月7日12時23分にこのホームページ管理人が携帯で撮影したマメナシの実です。

太良上池(だいらかみいけ)のマメナシの花の写真

 2018年4月26日15時2分このホームページ管理人がipadminiで撮影した。この写真を撮影した6年後の2024年4月10日に、太良(だいら)まめなしの里公園で同じ個体を見た。木の背が高くなっていた。そして、その個体は、花がすべて散り、実がなりかけていた。2024年4月10日、マメナシの個体の中には、まだ、花がなっている木もあったが、おおむね、散りかけていた。

公園になる前の太良上池(だいらかみいけ)ほとりのマメナシ自生地の様子1

2021年5月3日13時39分このホームページ管理人がiphoneXrにて撮影した太良上池(だいらかみいけ)ほとりのマメナシ自生地です。2021年には、太良上池(だいらかみいけ)ほとりのマメナシ自生地は立ち入り禁止で、この写真は、立ち入り禁止地区を道路の外から撮影した。2024年現在は、この写真の場所を遊歩道が通っています。

公園になる前の太良上池(だいらかみいけ)ほとりのマメナシ自生地の様子2

2021年5月3日13時40分このホームページ管理人がiphoneXrにて撮影した太良上池(だいらかみいけ)ほとりのマメナシ自生地です。この写真の向こうに太良上池(だいらかみいけ)が写る。2024年現在は、この写真の場所を遊歩道が通っています。

公園になる前の太良上池(だいらかみいけ)ほとりのマメナシ自生地の様子3

2021年5月3日13時40分このホームページ管理人がiphoneXrにて撮影した太良上池(だいらかみいけ)ほとりのマメナシ自生地です。2021年には立ち入り禁止地区でしたが、2024年現在は、この写真の場所を遊歩道が通っています。

公園になる前の太良上池(だいらかみいけ)ほとりのマメナシ自生地の横の道路の様子の写真

2021年5月3日13時44分このホームページ管理人がiphoneXrにて撮影した太良上池(だいらかみいけ)ほとりのマメナシ自生地の横の道路の様子です。2021年には、この写真のガードレールの左側が立入禁止区域だった。立入禁止区域からはみ出るように咲く赤い花の名前はわからない。東海丘陵要素植物なのか?

前の写真の花を正面から撮影した写真

2021年5月3日13時45分このホームページ管理人がiphoneXrにて撮影。前の写真の花を正面から撮影した。2021年には立ち入り禁止区域だった太良上池(だいらかみいけ)ほとりのマメナシ自生地に遊歩道が通った2024年現在、この花がどうなったかはわかりません。

公園になる前の太良上池(だいらかみいけ)の写真

2021年5月3日13時47分このホームページ管理人がiphoneXrにて撮影。2021年に立入禁止区域だった太良上池(だいらかみいけ)だが、このころから、公園になる準備が進んでいたのかもしれないと思う。この写真の左側に写る建物群は、愛知文教大学の建物群です。

公園になる前の太良上池(だいらかみいけ)周辺の写真

2021年5月3日13時49分このホームページ管理人がiphoneXrにて撮影。この写真の場所は、2024年現在、太良(だいら)まめなしの里公園の太良上池(だいらかみいけ)前にある説明板のある建物に向かって左前部分にあたる。この写真の花は、白い藤の花だと私は考える。この写真の白い藤の花の間を向こうに向かう道は、2024年現在の太良(だいら)まめなしの里公園の太良上池(だいらかみいけ)前にある説明板のある建物の前にある道だと考えられる。春になって、太良上池(だいらかみいけ)周辺に咲く花はマメナシの花だけではない。

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2.太良上池と太良下池の間にある太良(だいら)まめなしの里公園

太良(だいら)まめなしの里公園周辺の地図

このホームページ管理人がペイントで作成した太良(だいら)まめなしの里公園周辺の地図です。

 太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間には、その真ん中に田園地帯が広がる。今から約300万年前にこの地域に存在した東海湖の底にある砂礫層を中心とする堆積物の地質は、崩れやすく、栄養分がたまりにくく、栄養塩類を含んでいる。そのような土地を耕して、田園にするために、先祖の人々は、ガマを植えて、地質を改善したり、土壌の改良に取り組んできた。そのような場所で、最近では、農家の方々は、無農薬のお米作りに取り組んでいる。そして、太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間の地域の端の方は、まだまだ手付かずの自然が残され、太良(だいら)上池と太良(だいら)下池ができる前のこのあたりの風景を垣間見ることができる。このホームページ管理人は、太良(だいら)上池と太良(だいら)下池ができる前のこの辺りの風景は、東海湖に由来する水たまりのようなものが無数に存在していたと考えているが、その考えの根拠になる風景が太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間の端の方に残されている。そして、この地域には、とても珍しい野鳥が飛んでくるそうだ。このホームページ管理人は、春になって、珍しい野鳥の写真を撮影するためにこの地域を訪れる人にあったことがある。このホームページ管理人は、残念ながら、その人から聞いた野鳥の名前を忘れてしまったのだが。「幸せの青い鳥」とか言っていたような気がするが。

南西方面から見る太良(だいら)上池の写真

太良(だいら)上池の南西部(太良上池堤防)から太良(だいら)上池の北東部を眺める。正面に見えるのは太良(だいら)上池で、太良(だいら)上池の向こう正面左側に写るのは、太良まめなしの里公園の説明板のある建物です。この写真の右側に写る白い花がある木々はマメナシ自生地です。この写真の正面右側に写る背の高い建物は、東部工業団地の建物です。この写真の場所から振り向くと、太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間に広がる田園地帯を見ることができる。2024年4月10日14時13分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間に広がる風景の写真

 太良(だいら)上池堤防から撮影した太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間に広がる風景です。この写真の正面に写る田園風景の向こうには、太良(だいら)下池が写る。この写真の太良(だいら)下池の向こう右側、高台の上に写る建物群が桃花台ニュータウンの建物群で、高台の下に写る建物群が小牧市大草の人々が暮らす建物群です。小牧市大草に住む人々は、八田川周辺に家を構えています。八田川は、この写真に写る太良(だいら)下池から、この写真の中央に向かって流れている。太良(だいら)下池の向こう左側に写る建物群が愛知文教大学の建物群です。2024年4月10日14時12分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域に下る道の写真

 太良(だいら)上池堤防から太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間の地域に下る道は、太良(だいら)上池堤防の東側端と西側端の2ヶ所ある。この写真は、太良(だいら)上池堤防の東側端から太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間の地域に下る道の写真である。この写真に写る道の右側の草むらの向こうは人の手が入っていない場所で、珍しい野鳥が飛んでくるのは、この写真に写る道の右側の草むらの向こうにある湿地帯です。2024年6月9日10時31分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域にある湿地帯の写真1

 前の写真に写る道の草むらの右側はこのような湿地帯です。このあたりに珍しい野鳥が飛んでくるらしい。太良(だいら)上池と太良(だいら)下池ができる前のこの辺りの風景は、東海湖に由来する水たまりのようなものが無数に存在していたと考えるこのホームページ管理人の考えの根拠になる写真です。2024年6月9日10時31分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域にある湿地帯の写真2

 前の写真に写る道の草むらの右側の湿地帯です。2024年6月9日10時32分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池堤防の写真

 前の写真の道を下ると太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域が広がるが、道を下って振り返ると、太良(だいら)上池堤防が見える。太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある田園地帯は、太良(だいら)上池から水をもらっている。「篠岡百話」(復刻版)(篠岡中学校 昭和57年(1982年)7月発行)によると、明治24年(1891年)10月28日に起こった濃尾大震災で、太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)の堤防が決壊して、収穫直前の稲はダメになり、小牧市大草の人家も被害を受けた。濃尾大震災の復興のために、太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)の一部の水の権利を持っていた春日井市東野町は、太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)の水の権利を全て小牧市大草に戻した。2024年6月9日10時32分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の写真1

 前の写真の道を下ると太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域が広がる。この写真の先に太良(だいら)下池がある。太良(だいら)下池の向こうへ八田川が流れていく。この写真の右側に写る高台の上にある建物群が桃花台ニュータウンの建物群です。2024年6月9日10時32分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の写真2

 前の写真の道を下って、太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の東側端にある道を太良(だいら)下池に向かって歩く。この写真の正面に写る木々の向こうに写るのは、愛知文教大学の建物群だ。太良(だいら)下池は、この写真の右端に広がっているが、この写真には写っていない。2024年6月9日10時46分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の写真3

 太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域は、太良(だいら)上池から水をもらっている。2024年6月9日10時54分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の写真4

 この写真に写る田園地帯の向こうに太良(だいら)下池がある。この写真の正面に写る大きな建物は愛知文教大学の建物だが、愛知文教大学の建物の右側からこの写真の右方向に向かって太良(だいら)下池が広がっている。2024年6月9日10時55分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の写真5

 太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の真ん中を太良(だいら)下池まで進んできた。この写真の右側に太良(だいら)下池があるが、この写真には写っていない。2024年6月9日10時25分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の写真6

 太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の真ん中を太良(だいら)下池まで進むと、太良(だいら)下池直前にガマの群落がある。この写真の正面の行き止まりの草むらの向こうが太良(だいら)下池だ。この写真には太良(だいら)下池が写っていない。この写真の正面の高台の上に写るのは桃花台ニュータウンの建物群です。2024年6月9日10時24分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域にあるガマの写真1

 太良(だいら)下池直前にあるガマの群落のアップ写真です。この写真の左側に写る草むらの向こうに太良(だいら)下池がある。ガマは、薬用にもなるし、栄養塩類の除去などの土壌の改善にもなるありがたい植物です。このホームページ管理人は、太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の農家の方々が大事にしている群落であると考えます。「Wikipediaガマ」参照。2024年6月9日10時24分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域にあるガマの写真2

 太良(だいら)下池直前にあるガマの群落のアップ写真です。2024年6月9日10時24分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の写真7

 太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の西の端に竹やぶがある。竹やぶの前に道があるので、その道を通って竹やぶの様子を見てみましょう。2024年6月9日10時45分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある竹やぶの写真1

 太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域にある竹やぶには、竹だけではなく、シュロやササなどいろいろな種類の植物があるようだ。2024年6月9日10時42分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある竹やぶの写真2

 太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域にある竹やぶにあった実のなった植物の写真です。植物の名前は知らない。この付近に結構大きな蛇の抜け殻があった。2024年6月9日10時43分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある竹やぶの写真3

 太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域にある竹やぶのある場所には、きれいな白い花が咲いている場所があった。以前、晩秋にこの竹やぶの中をのぞいたとき、植物が枯れて、人が造ったような溝と石垣が見えた。2024年6月9日10時44分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の写真8

 太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の東側端にある道を進む。この写真の正面に見える白いガードレールの向こうが太良(だいら)下池です。2024年6月9日10時35分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池の写真1

 前の写真の道を進み、白いガードレールの向こうを見ると太良(だいら)下池です。2024年6月9日10時36分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池の植物の写真

 この写真に写るロープの向こうは太良(だいら)下池です。太良(だいら)下池と、太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域を分ける植物の写真です。植物の名前はわかりません。この写真に写る白い花と黄色い房のある植物は、太良(だいら)下池の向こうを流れる八田川の川辺でもよく見る。2024年6月9日10時38分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池の写真2

 太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域から見る太良(だいら)下池です。この写真に写る太良(だいら)下池の向こうに八田川が流れるが、この写真には写っていない。この写真の右側に写る高台の上に建つ建物群は桃花台ニュータウンの建物群です。2024年6月9日10時38分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の写真9

 太良(だいら)下池前から太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域を見る。この写真の正面に写る堤防は、太良(だいら)上池の堤防です。この写真の太良(だいら)上池の堤防の向こうに写る大きな建物は、東部工業団地の建物です。2024年6月9日10時37分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

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3.太良下池周辺の太良(だいら)まめなしの里公園

太良(だいら)まめなしの里公園周辺の地図

このホームページ管理人がペイントで作成した太良(だいら)まめなしの里公園周辺の地図です。

 太良上池が公園化されているのと違い、現段階で、太良下池には、誰も入ることができない。私たちは、太良下池堤防などの周辺からしか太良下池を見ることはない。だから、太良下池を紹介するときは、太良下池周辺を紹介することになる。このホームページ管理人が、太良下池を観察する上で、最も感動したことは、太良下池から流れる八田川の存在だ。太良下池西端から流れる水が八田川の本流なのだろうが、太良下池東端からも八田川に水が流れている。そして、太良下池が水を供給する八田川沿いに立った時、太良下池堤防を見て、このホームページ管理人は、「篠岡百話」(復刻版)(篠岡中学校 昭和57年(1982年)7月発行)に掲載されていた話を思い出し、ぞっとするのであった。

「明治24年(1891年)10月28日に起こった濃尾大震災で、太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)の堤防が決壊して、収穫直前の稲はダメになり、小牧市大草の人家も被害を受けた。濃尾大震災の復興のために、太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)の一部の水の権利を持っていた春日井市東野町は、太良上池(だいらかみいけ)・太良下池(だいらしもいけ)の水の権利を全て小牧市大草に戻した。」

太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の写真8

 太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の東側端にある道を進む。この写真の正面に見える白いガードレールの向こうが太良(だいら)下池です。太良(だいら)下池を見るために、この写真の正面に見える白いガードレールの場所を左に曲がります。それから、道なりに進むと、太良(だいら)下池の東側を見ることができる。2024年6月9日10時35分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池東側にある道の写真

 太良(だいら)下池東側にあるこの写真の道を上る途中で、右側に、太良(だいら)下池の東側の風景が見えてきます。2024年6月13日13時3分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池東側の写真1

 このホームページ管理人が以前、この場所に立った時は、冬から春にかけてだったと記憶しているが、太良(だいら)下池は水がいっぱいで、岸辺が見えず、木立の下の部分は池の水に浸かっていて、野鳥が飛び交っていた。2024年6月現在、この写真を見ると、太良(だいら)下池の岸辺には、ごみが散乱している。太良(だいら)下池にごみを捨てに来る人がいるということがこの写真を見たらわかる。2024年6月13日13時3分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池東側の写真2

 前の写真の位置から少し道を上って撮影する太良(だいら)下池東側です。2024年6月13日13時2分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池東側の写真3

 前の写真の位置から少し道を上って撮影する太良(だいら)下池東側です。2024年6月13日13時2分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池東側の写真4

 前の写真の位置から少し道を上って撮影する太良(だいら)下池東側です。2024年6月13日13時1分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池東側にある太良まめなしの里公園休憩所の写真1

 前の写真の位置から少し道を上ると、太良まめなしの里公園の休憩所がある。2024年6月13日13時このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池東側にある太良まめなしの里公園休憩所から見る太良(だいら)下池の写真

 太良まめなしの里公園休憩所は、太良(だいら)下池堤防と標高が同じ高さにあるため、太良(だいら)下池を見下ろすことができます。2024年6月13日13時このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池東側にある太良まめなしの里公園休憩所の写真2

 太良(だいら)下池東側にある太良まめなしの里公園休憩所を出て道を上るとすぐ、大きな道路に出ますが、道路に出たら右へ曲がって撮影した太良まめなしの里公園休憩所です。後ろに写るのは、愛知文教大学の建物です。2024年6月13日13時5分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池堤防の写真1

 太良(だいら)下池東側にある太良まめなしの里公園休憩所を出て、太良(だいら)下池堤防から太良(だいら)下池を見てみましょう。この写真を手前から向こうに進むとこの写真の右側に太良(だいら)下池がある。この写真の左側に八田川が流れる。2024年6月13日13時6分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池の写真1

 2024年6月現在、太良(だいら)下池堤防は草に覆われていますので、思いっきり手を上に伸ばして、太良(だいら)下池を撮影しました。太良(だいら)下池の向こうに太良(だいら)上池堤防があり、太良(だいら)上池堤防の向こうに、太良(だいら)上池にある公園の説明板のある建物の屋根の上の部分が見える。この写真の中央右側にある大きな建物は、東部工業団地の建物です。2024年6月13日13時6分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池の写真2

 前の写真より、太良(だいら)下池堤防をもう少し先へ進んだ場所で撮影した太良(だいら)下池です。この写真に写る太良(だいら)下池の向こう岸には、所々にヨシの草の群落がある。この写真の手前にある黄色い房のある植物は、太良(だいら)下池近くの八田川でもよく見る。八田川の川岸の植生は、太良(だいら)下池から離れれば離れるほど変わっていく気がする。2024年6月13日13時8分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池の写真3

 太良(だいら)下池の西側端に近づいてきました。太良(だいら)下池では、釣りは禁止です。2024年6月13日13時9分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池の西の端の写真

 太良(だいら)下池の西側端です。ここから八田川につながっていますが、八田川への水の供給は、太良(だいら)下池の東側でも行われている。ただ、地図によると、太良(だいら)下池の西側端が八田川本流のようです。2024年6月13日13時10分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池の西の端にある石垣の写真

 前の写真の太良(だいら)下池の西の端を右側に見て進むと、つきあたりに石垣がある。この石垣が太良(だいら)下池堤防の古い石垣(もしかしたら、明治24年(1891年)10月28日に起こった濃尾大震災当時のものか?)ではないかとこのホームページ管理人は考えます。この石垣の前の道を右へ進んだ道が次の写真です。左へ進むと太良(だいら)下池堤防の道を渡って、八田川を見下ろすことができる。2024年6月13日13時11分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池の西側にある道の写真

 前の写真を右に曲がると、太良(だいら)下池に沿って、太良(だいら)上池堤防に続く道があります。この写真の前方右側に写る竹林の中を撮影したのが次の写真です。2024年6月13日13時11分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池の西側池辺にある竹やぶから見る太良(だいら)下池の写真

 太良(だいら)上池にある太良(だいら)まめなしの里公園の説明板には、次のように説明されています。

「太良(だいら)下池の西側池辺には、ヨシが茂り、急な斜面となり、崖の上には、真竹林が細く帯状に生育する。真竹林の中は、ヒサカキ・ネズミモチなどの暗さに強い常緑樹が育っている。」

 2024年6月13日13時11分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池の西側にある道の太良(だいら)上池堤防に近い場所の写真

 前の写真の竹やぶを通り過ぎると、道は明るくなり、道の右側に養蜂場が見えてくる。この写真は養蜂場を過ぎたあたりで撮影した太良(だいら)下池の西側にある道です。しかし、この写真の先の右側に見える竹やぶは、太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の西側にある竹やぶです。この写真の左側にはぶどう畑が写る。この写真の道をつきあたって右に行くと太良(だいら)上池堤防です。2024年6月13日13時13分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池
堤防の写真2

 太良(だいら)下池の西側にある道から太良(だいら)下池堤防に戻ってきました。太良(だいら)下池の西側から見る太良(だいら)下池堤防道路です。この写真に写る太良(だいら)下池堤防道路の左側に太良(だいら)下池がある。2024年6月13日13時18分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。この写真の道路を右側に渡って撮影した八田川の写真が次の写真です。

太良(だいら)下池
堤防から見下ろす八田川の写真1

 太良(だいら)下池堤防道路の太良(だいら)下池の反対側では、太良(だいら)下池から流れる八田川を見ることができる。この写真は、太良(だいら)下池西側端から流れる八田川の写真だが、太良(だいら)下池東側端からも八田川に水が供給されている。しかし、地図を見ると、太良(だいら)下池西側端から流れる水が八田川本流のようだ。2024年6月13日13時19分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池
堤防から見下ろす八田川の写真2

 前の写真の八田川は、この写真に写る一番手前の田1枚を過ぎた場所から左側に向きを変える。この写真に写る一番手前の田と二番目の田の間に茶色い土手のような線がみえるが、茶色い土手のような線の場所に八田川が右から左へ流れる。八田川のその先は、この写真の左側にある山の際に写る白いガードレールの線に沿って、小牧市大草から春日井市まで流れていく。2024年6月13日13時20分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池
堤防東側にある八田川の堰の写真

 太良(だいら)下池堤防道路の東側にも、八田川の堰があり、ここからも、太良(だいら)下池から八田川に水が供給されている。この写真に写る太良(だいら)下池堤防道路の向こうに写るフェンスの向こうに太良(だいら)下池がある。この写真に写るフェンスの右隣にある木のこんもりした場所が、太良(だいら)まめなしの里公園の太良(だいら)下池東側にある休憩所です。2024年6月13日13時23分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。この写真を左右に走る道路が太良(だいら)下池堤防道路で、この写真の手前に写る道が八田川へ下る道です。

太良(だいら)下池
堤防道路東側にある八田川へ下る道の写真

 太良(だいら)下池堤防道路から八田川へ下る道は、太良(だいら)下池堤防道路東側にあるこの道しかありません。この写真には写っていないが、この写真の右側後方に前の写真の堰がある。この写真の上に写る太良(だいら)下池堤防道路の右側が太良(だいら)下池です。2024年6月13日13時23分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池
堤防道路の東側下の写真

 この写真の手前に写る用水路の水は、太良(だいら)下池から供給されている。この用水路の水は、この写真の左側に写る手前から1枚目の田と2枚目の田の間のあぜ道の下を通って、八田川本流と合流する。この写真の右側に写る壁が太良(だいら)下池堤防です。八田川の本流は、この写真の向こうに写る白いガードレールの場所を流れ、白いガードレールが切れるあたりでこの写真の手前に流路を変える。2024年6月13日13時25分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池
堤防道路の東寄り真ん中下の写真

 前の写真に写っていた用水路の続きの写真です。正面に見えるのが太良(だいら)下池堤防です。この写真の正面に写る太良(だいら)下池堤防の向こうに太良(だいら)下池がある。この場所に立つと、明治24年(1891年)10月28日に起こった濃尾大震災で、太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の堤防が決壊するということがどれほど恐ろしいことなのか考える。2024年6月13日13時26分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池
堤防道路の西側下の写真

 この写真正面に写る白いガードレールの場所に八田川本流が流れる。このホームページの1枚目の八田川の写真は、この写真の右側に写る太良(だいら)下池堤防道路の上から撮影した。この写真の右側に太良(だいら)下池がある。2024年6月13日13時28分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池
堤防道路の西側下にある田に供給される水の写真

 太良(だいら)下池からの水が田植えが終わったばかりの田に供給される。八田川本流は、この田があるあたりで、流れを変える。2024年6月13日13時31分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池
堤防道路の西側下で流路を変える八田川の写真

 前の写真の辺りで、八田川は西から東へ流路を変える。その後の八田川は、この写真の中央より向こうに写る白いガードレールの場所を流れる。(つまり、八田川は、この後、この写真の左側から右側に向かって流れる。)この写真の左側に写る壁は、太良(だいら)下池堤防です。この写真に写る太良(だいら)下池堤防の右側にくっつく上り道が、太良(だいら)下池堤防道路東側にある八田川に下る道です。この写真の正面の山の上に写る大きな建物は、この時には、まだ残っている名古屋造形大学の建物だ。2024年6月13日13時31分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池
堤防道路の東寄り真ん中下で流路を変える八田川本流の写真

 太良(だいら)下池 堤防道路西側を流れていた八田川本流は、西から東へ向きを変え、太良(だいら)下池堤防道路の東寄り真ん中下にあるこの場所で、前の写真の用水路の水と合流して、太良(だいら)下池堤防とは反対方向に流れていく。この写真の正面に写る壁が太良(だいら)下池堤防です。2024年6月13日13時51分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池
堤防道路の反対方向に流れる八田川本流の写真

 八田川本流は、太良(だいら)下池堤防から遠ざかる方向に流れていくが、まだ太良(だいら)下池堤防が見える八田川沿いの植生は、太良(だいら)下池と同じであるとこのホームページ管理人は考えます。2024年6月13日13時36分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池
堤防道路の反対方向に流れる八田川本流の遠景写真

 八田川本流は、太良(だいら)下池の西の端から出て、太良(だいら)下池 堤防道路の東寄り真ん中下で流路を変え、太良(だいら)下池 堤防道路の反対方向に流れていきます。この写真の正面に見える壁が太良(だいら)下池堤防道路です。2024年6月13日13時38分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

小牧市大草や春日井市方向に流れる八田川本流の写真

 八田川本流は、小牧市大草や春日井市方向に流れていく。2024年6月13日13時36分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池堤防の近くを流れる八田川本流付近の田園風景の写真1

 前の写真の左側にある田園風景です。太良(だいら)下池堤防の近くを流れる八田川本流付近の田園風景は、どこか、太良(だいら)上池と太良(だいら)下池の間にある地域の田園風景に似ている。2024年6月13日13時38分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

太良(だいら)下池堤防の近くを流れる八田川本流付近の田園風景の写真2

 前の写真の田園風景から、少しだけ、小牧市大草や春日井市方向に進んだ場所にある、八田川本流付近の田園風景です。2024年6月13日13時39分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

小牧市大草を流れる八田川本流付近の風景の写真

 八田川本流を小牧市大草まで進んできました。この写真の左側の田の左にあるこんもりした森が大久佐八幡宮の森です。この写真の正面を流れる川が八田川です。小牧市大草にある集落は、八田川に沿って、八田川の左右に建つ。この写真に写る八田川の右側に見える森は、手前の森が大草城で、奥の森が福厳寺と考えられます。この先、八田川は、春日井市街地に向かって、流れていきます。小牧市大草に入ると、八田川周辺の風景は、太良(だいら)上池・太良(だいら)下池周辺の風景とは変わってくる。八田川の風景は、春日井市に入ると、また、違ってきます。2024年6月13日13時44分このホームページ管理人iphoneXrにて撮影。

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