十 走る松明の明かり

 比叡山にはまだ雪が降り、寒さも身にしみる3月初旬であったが、比叡山のトップの僧侶たちは、「御衣加持御修法」の行事への準備で、大忙しだった。こんなときは、山庵たち40人の僧兵は、誰かに仕事を頼まれることのないように身をひそめているのが一番だ。当然、尾張の大山寺に向けて出発するのは、他の僧侶たちが忙しくなる午前中が最適だった。山庵たち40人の僧兵は、誰にも気付かれぬよう、ひそかに比叡山を後にした。そして、比叡山を出てから1週間後の3月14日、山庵たち40人の僧兵は、尾張(愛知県西部)にある大草の集落にたどり着いた。

 ところで、現在私たちが利用している名神高速道路や東名高速道路は、古代に、東国から都(京都)へ通じていた官道の上に作られている。比叡山の僧兵たちは、比叡山を下りてから、現在の名神高速道路の大津インターチェンジ付近から、古代の官道を東に向かった。そして、現在の東名高速道路の春日井インターチェンジから近い所にある、大草という集落にたどり着いたと考えられる。この道は、この小説「法灯を継ぐ者1」の後の展開で出てくる、源氏の末裔の波多野氏が、保元の乱・平治の乱で敗れて都落ちし、大草の「大久佐八幡宮」にたどりついたという道と同じである。

 話は、尾張の大山寺からほど近い、大草の集落にたどりついた、山庵たち40人の僧兵に戻る。大草にたどりついた山庵たち40人の僧兵は、「大久佐八幡宮」という小さな神社をみつけた。

 「よし、計画を実行するのは、今日の夜だ。今日の夜に玄法上人に会い、明日の明け方までには、決着をつける。今日の夜まで、この神社で、休憩を取るから、みんな、よく休んでおくように。」

 山庵はこう言って、たまたま、そこにいた「大久佐八幡宮」の若い宮司の井山一郎に声をかけた。

 「今日の夜まで、ここで、休ませてもらってもよろしいですかな?」

 まだ若い宮司の井山一郎は、40人もの僧兵たちに囲まれて、恐怖ですくんでしまった。井山一郎は、もちろん、受け入れ、遠巻きに僧兵たちを見守っていた。

 そして、3月14日の夜になった。40人の僧兵たちが、それぞれ、手に松明を持ち、「大久佐八幡宮」を大山寺方面に向かって出発していくのを、宮司の井山一郎は、恐怖の思いで見ていた。

 「一体、この僧兵たちは、これから、何をしでかすつもりなのだろう。何か悪いことが起きなければいいが。都では、僧兵たちは、とても恐れられていると聞いているが。」

 事前に大山寺の地図を手に入れていた山庵は、大山寺の僧兵たちに気付かれることなく、大山寺の本堂に侵入し、玄法上人に会わなければならなかった。だから、山庵たち40人の僧兵が大山寺へ入るのは、夜にしたのだった。山庵たち40人の僧兵は、玄法上人に指示された大山寺の僧兵たちが何人か見張りをしていた総門を通らず、総門の手前にある道をひたすら上まで登って行った。

 山庵たち40人の比叡山の僧兵たちは、大山寺の総門より西側にある道から山を登り、北新池古墳を左に見ながら、更に山を登り、太鼓堂にたどり着いた。太鼓堂の上には、玄法上人に指示された大山寺の僧兵たちが何人か見張りを立てていた。山庵以下40人の比叡山の僧兵たちのうち、山庵以外の20人ほどの僧兵たちは、太鼓堂のふもとから、見張りの目を避けつつ、旧参道のあたり、女坂のあたり、製鉄所のあたりの僧坊に散っていき、そこに身を隠した。残りの山庵たち20人の比叡山の僧兵たちは、太鼓堂の背後の山道を登り、廃墟になっている塔の跡にたどり着いた。この道を通った時、山庵たち20人の比叡山の僧兵は、自分たち以外の者には、だれにも会わなかった。廃墟になっている塔にたどり着いた山庵は、思わず、このようにうなった。

 「さすが雲玄だな。雲玄の作った大山寺の地図は正確だ。雲玄をだまして地図を手に入れて正解だった。」

 廃墟になった塔の跡にたどりつくと、更に、山庵以外の10人ほどの比叡山の僧兵は、油しぼりの僧坊に散っていった。ここで残った山庵以下10人の比叡山の僧兵は、廃墟となった塔の背後にある山の頂上をめざして登った。頂上から山の向こうにある本堂まで下っていき、本堂で玄法上人を説得するというのが今回の計画だ。

 そして、山庵を先頭にして、最後に残った10人の比叡山の僧兵たちは、松明を片手に持ち、山の斜面をはいずるように、廃墟となった塔の背後にある山の頂上をめざして登った。しかし、廃墟となった塔の背後にある山の頂上には、玄法上人から指示された、大山寺の修行僧である星海が見張りに立っているはずであった。

 さて、3月14日の夜、廃墟となった塔の背後にある山の頂上に見張りに立っていたのは、まだ若い修行僧の星海だった。星海は、その日、廃墟となった塔の背後にある山の頂上より少しだけ下った草むらの中で、福寿女と一緒に星空を眺めていた。

 福寿女は、篠岡丘陵にある窯(福寿窯)で働く陶磁職人滋郎の娘である。若い修行僧の星海は、大山寺で使う陶器を陶磁職人からもらいうけるという係もしており、頻繁に大山寺に陶器を納めに来ている陶磁職人滋郎とは、顔なじみの仲であった。当然、いつも、父親の仕事を手伝い、父親と一緒に、重い陶器を大山寺に運んできていた娘の福寿女とは、すぐに、打ち解けた仲となっていった。

 福寿女は、娘であるのに、重いものを持つという体力勝負の仕事が苦にならない、たくましい女性で、優しくて草食系男子である若い修行僧の星海とは好対照であった。3月14日の夜、廃墟となった塔の背後にある山の頂上の見張りを玄法上人から指示された星海は、一人さみしく見張りをするのはいやだということで、福寿女に一緒に見張りをしてくれと頼んだのであった。

 たくましい福寿女は、「よし、私が星海を守ってやる。」と言って、星海の見張りの仕事についてきた。星海は、見張りの場所から少しだけ下った草むらの中で、福寿女と一緒に星空を眺めながら、福寿女にこうささやいた。

 「玄法上人も考えすぎだよ。こんな廃墟の山の上に賊が侵入してくることなんてありえないよ。福寿女さんもそう思わないかい?」
 すると、福寿女はこう答えた。

 「でも、都では、僧兵たちが数々の悪いことをしでかしていて、その僧兵たちから身を守るために、武士の人たちが活躍しているというよ。ここは、都から遠く離れた田舎だけど、都で起こることは、こちらでも起こる可能性はあると考えた方がいいって、お父さんが言っていたよ。」

 「ガサッ!」
 その時、何か、動物が通り過ぎたような音がしたのを星海は感じていた。

 「ガサッ!」

 「ガサッ!」

 星海は草むらから起き上がって、音の方向を見た。その瞬間、星海は、再び草むらの中に隠れた。「どうしたの?」と福寿女が聞くと、星海はこう答えた。

 「今、火の玉がいくつも、本堂の方面に向かって、飛んで行った!」

 星海は続けてこう言った。

 「火の玉がいくつも本堂の方面に向かって飛んで行ったこと、本堂にいる玄法上人に知らせに行った方がいいよな。今から、本堂の玄法上人の所に行こう。福寿女さんも一緒に来てくれ。ぼく一人では怖いからさあ。」

 3月14日の夜、玄法上人と二人の稚児僧(子供の修行僧)である牛田と佐々木は、本堂の中で、眠りについていた。本堂に到達した山庵以下10人の比叡山の僧兵は、松明をかざして、玄法上人の姿を探していた。そして、本堂の中で眠りについていた玄法上人と二人の稚児僧(子供の修行僧)を見つけると、山庵は、寝ている玄法上人の横に仁王立ちになり、玄法上人を足で蹴って起こした。

 「何だ、お前たちは!見張りの者たちは、一体、何をやっている!」

 起きがけに、玄法上人が山庵に言った言葉はこれだった。玄法上人のこの声に、二人の稚児僧(子供の修行僧)も目を覚ました。山庵は、玄法上人にこう言い放った。

 「俺は、比叡山僧兵の山庵というものだ。玄法上人に伝えたいことがあって、比叡山から40人の部下を連れてここにやってきた。40人の部下のうち30人は、大山寺の各僧坊に身を隠している。俺と残りの10人の比叡山の者がここにいる。

 単刀直入に言おう。4月の「御衣加持御修法」の行事の帰りに朝廷に出向き、大山川の改修をしてくれるよう朝廷に直訴するという行為をやめてもらえないだろうか。天台座主の行玄が、「玄法上人にそんなことをされては、私の朝廷における立場が悪くなり、朝廷が天台宗に抱いているイメージにも傷がつく。」と言って、深く悩んでいる。

 諸国の洪水を防ぐために、河川を改修するのではなく、お祈りをするというのが、朝廷と天台宗との間で合意したことなのだ。こんなときに、玄法上人から、大山川の改修を朝廷に直訴されたら、天台宗は2つに割れていると、朝廷に足元を見られかねないと、天台座主は考えておられる。

 だから、頼むから、4月の「御衣加持御修法」の行事の帰りに朝廷に出向き、大山川の改修をしてくれるよう朝廷に直訴するという行為をやめてもらえないだろうか。それでも、もし、玄法上人が自分の意見を押し通すつもりなら、我々比叡山僧兵は、この松明をもって、この山に火を放ち、一山まるごと焼きつくしてしまうぞ!」

 この時代には、都では、武士が、恐ろしい僧兵や盗賊から朝廷を守っているということくらい、玄法上人は知っていた。そして、玄法上人は、自分が武士の出身であるというプライドは持っていた。しかし、玄法上人が大山寺においてとってきた僧兵や盗賊に対する防御策は、この比叡山僧兵たちにとっては、ないに等しいものだったということが、今はっきりしたのだ。

 玄法上人は自分のプライドを完全に打ちのめされてしまった。それに、大山川の改修に関しては、朝廷も玄法上人たちの味方ではないことが、今、完全にわかったのだ。今、玄法上人や大山寺の僧兵たちが比叡山の僧兵たちと戦ったところで、勝ち目はないことを玄法上人は悟っていた。玄法上人や大山寺の僧兵たちが比叡山の僧兵たちと戦ったところで、勝ち目はないのであれば、大山寺の将来のために玄法上人がとるべき行動は何か、玄法上人は必死で考えた。

 もはや、玄法上人にとって、大山川の改修のことなどどちらでもよかった。大山寺が末永くこの地で生き残っていくことだけが、玄法上人の願いだった。しかし、「比叡山の僧兵たちに屈することが、果たして、大山寺が末永くこの地で生き残っていくことにつながっていくのだろうか?」と、玄法上人は、比叡山僧兵たちと向き合いながら、心の中で何度も問うていた。

 そして、玄法上人はひとつの結論を出した。玄法上人は、比叡山僧兵たちに向かって、何も言わず、大きく首を横に振った。その直後、大山寺の本堂から火の手が上がった。

 その時の玄法上人の姿は、天台座主行玄が御所で雨を止める五壇法を修したときに祈りの対象とした、青蓮院門跡寺院の「青不動」そのものだった。「青不動」の脇にいる二人の子供は、まさに、大山寺の本堂に玄法上人と一緒にいる二人の稚児僧(子供の修行僧)の牛田と佐々木だ。そして、本堂にうずまく煙の中で、玄法上人はいつのまにか、意識を失った。意識を失った玄法上人を見た二人の稚児僧(子供の修行僧)の牛田と佐々木は、気が動転して、火の中に飛び込んで行った。

 本堂に到着した見張りの修行僧の星海と連れの福寿女が本堂のふすまをあけると、そこには、意識を失って倒れている玄法上人が見えた。そして、二人の稚児僧(子供の修行僧)の牛田と佐々木が火に飛び込んでいくのを見た修行僧の星海は、二人の稚児僧(子供の修行僧)の牛田と佐々木を助けようとした。

 しかし、星海の連れの福寿女が、星海を止めてこう言った。

 「だめだよ。そんなことをしたら、星海も二人と一緒に死んでしまうよ。私たちは、山から下りて、助けを求めにいこうよ。」

 その時、修行僧の星海とぶつかった者がいた。それは、本堂に火をつけた比叡山僧兵たちのリーダーである山庵であった。山庵が松明を持っているのを見た星海は、持っている薙刀で、山庵と戦おうとした。

 「俺は、大山寺の修行僧で、見張りの星海というものだ。このやろう、なんてことを。ばかやろう!」

 星海はこう言って、薙刀を持って、山庵に襲いかかった。しかし、あっという間に、星海の持っていた薙刀はどこかに飛んで行ってしまい、気がつけば、山庵の刀が、星海の喉元に向けられていた。それを見た、星海の連れの福寿女は、とっさに、山庵と星海の間に入った。そして、山庵は、星海に向かって、こう言った。

 「俺は、比叡山の僧兵の山庵という者だ。お前、見張りの仕事をさぼって、女といちゃついてやがったのか。とんでもない奴だな。比叡山でそんなことしたら、死刑だぞ。でも、今は見逃してやる。なぜなら、比叡山天台宗を救ったのはお前かもしれないからだ。これで、天台宗が、近衛天皇勅願の儀のことで2つに割れていると朝廷に思われて、朝廷に足元を見られずにすんだ訳だからな。さあ、お前なんか、女と二人でどこかへ行ってしまえ!」

 山庵は、大山寺の本堂を出ると、そのまま、大山不動に向かって歩きはじめた。そして、手に持った松明を使って、見つけた僧坊には全て火を放っていった。

 山庵は、大山不動に着いた後、不動坂を下りながら、不動坂周辺の僧坊にも火を放っていった。山庵の歩いた道は、炎に包まれた。大山不動の近くの僧坊で炎を見た他の比叡山僧兵たちが、隠れていた僧坊に火を放ち、それを見た他の比叡山僧兵たちが、次々に隠れていた僧坊に火を放ちながら、山庵に合流した。そして、山庵と40人の比叡山の僧兵たちは、大山寺の総門から、堂々と比叡山延暦寺に帰って行った。

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