十一 刀塚

 その部屋は、先ほどの製鉄所と同じ位の10m四方の広い部屋だった。そして、松明の火が揺らいでいる所を見ると、この部屋にもどこかに通気口が開いているようであった。しかし、この部屋は、製鉄所ではない。この部屋に所狭しと置かれてあるのは、おびただしい数の刀剣であった。

 「どうやら、石の扉は、分厚い蝋のようなもので閉じられていたみたいです。だから、行燈の火で扉を暖めると、蝋が溶けて、人間の力で押せば開く仕組みになっているようです。ずいぶん昔は、扉を閉じる蝋を定期的に塗りなおしていたのでしょう。だから、蝋を溶かす人間がいなければ、扉は永遠に閉じられる。」

 中村住職がこう話していると、部屋の右奥隅を見ていた石川が声を上げた。

 「ちょっと、これを見てください。」

 そして、青木と中村住職は、一斉に石川の声がする方に向かった。

 「この部屋の中でも、この場所に置いてあるたくさんの刀は、どれもとても古そうだ。それに、この刀は、どれも刃がまっすぐな直刀だ。普通、私たちが目にする刀は、どれも刃が反っているでしょう。それに、刀に掘られている文字も珍しい。まるで、古代中国の甲骨文字のようだ。こんな刀を持つことができるのは、8世紀以前の位の高い人々だ。つまり、これは、古代刀だ。」

 石川がこう言うと、青木はつぶやいた。

 「刀塚だ。今から235年以上前に入鹿池を築造することが決まり、入鹿村が池の底に沈んでしまうことになって、尾張藩は、入鹿池築造工事に先だって、入鹿村にある古墳の発掘調査を実施した。その時、百振り余りの古代の刀剣が出土した。そこで、当時の人々は、工事の無事と入鹿池の無事を願って、入鹿池の堤防に「刀塚」という塚を造って、出土した多数の古代刀を納めた。

 ということは、ここは、もしかして、今修復中の入鹿池杁堤の端っこに建っている「刀塚」の下ということか?」

 すると、石川は、部屋の右奥隅を離れて、順番に刀剣を確認していった。部屋の中には、おびただしい数の刀剣が置かれてあったが、それは、決して乱雑に置かれているのではない。その部屋いっぱいに置かれてある刀剣は、整然と棚に立てかけられ、人が3人ほど通ることができる通路を通りながら、一個ずつ鑑賞できるようになっていた。そして、通路は、漢字の「己」の字のように3列のコの字形に通っていて、中央に置かれた松明を挟んで、更にもう3列のコの字形の通路があって、石の壁の入り口につながっていた。その部屋に置いてある全ての刀剣を確認しつつ、20分くらいかけて、石の壁の入口まで到達した石川は、石川の後をついて中央に置かれた松明のある場所まで来ていた中村住職と青木のいる所に戻ってきて、こう言った。

 「この部屋に置かれてある刀剣は、薙刀なども含んで、全て、通路に沿って、時代順に置かれてあります。右奥隅に置かれている古代刀から始まって、通路を進むにつれて、反りの入った刀になり、最後、石の壁入口付近に置かれてある刀は、全て無銘だが、正宗の名刀に近い作り方だ。さっきの製鉄所で作っていた刀ではないでしょうか。しかも、このおびただしい数の刀は、全て、定期的に手入れされている気がするのですが。刀は、手入れさえ怠らなければ、半永久的に使える武器です。」

 「ここは、恐らく、入鹿池の底の下にある地下室だ。

 刀塚と入鹿池を造ったのが尾張藩だとしてもだ、入鹿池の底の下にあるこの地下室は、尾張藩が単独で造ったものではない。ここは、間違いなく、江戸幕府が何かの目的で造ったものだ。

 じゃあ、入鹿池は、江戸幕府がこれらの施設を隠すために、尾張藩に造らせたものだったのか?明治政府の役人が、ここらへんをうろちょろしているのもこのためか?

 でも、あいつらは、これからの戦争は、刀ではなく、銃だといっていたぞ。」

 青木がこう言うと、江岩寺の中村住職は、こう言った。

 「もっと、びっくりするものがありますよ。これから、皆さまをそこへご案内いたしましょう。」

 そして、中村住職は、部屋の右奥隅に置かれてある100余りある古代刀の前に来た。そして、青木と石川は、刀に目を奪われていて気づかなかったのだが、古代刀の右端には、まだ、奥へと続く通路が存在していた。中村住職が通路の中に消えていくのを見て、青木と石川は、慌てて、住職の後を追った。

 100個余りある古代刀の塊の右側に控えめに造られていた通路は、3m四方の通路で、5m間隔ごとに行燈が置かれていて、直線で平坦な通路だった。中村住職が通路を進んで行くごとに、行燈に明かりがふっと点いて行く。そして、20m間隔ごとに、壁に掲げられているのは、浮世絵だった。それは、花の絵、草木の絵、動物の絵、魚の絵、風景の絵といった地上にあるものを描いた浮世絵だった。

 「きっと、この通路を造った人たちは、地上が恋しかったのだろうな。こんなに地下にもぐっていると、早く、外に出たくなるもんな。」

 石川がこう言うと、青木は、「その通りだな。」と答えた。

 そして、青木と石川は、掲げられた100枚ほどの浮世絵を見ながら、30分弱通路を歩くと、中村住職が3m四方の壁の前で待っていた。

 通路のつきあたりにある3m四方の壁には、大きな曼荼羅が描かれていた。その曼荼羅は、真ん中に描かれている大日如来の上下左右(北南西東)に4体の仏像が描かれている曼荼羅だった。そして、その曼荼羅を見ながら、中村住職はこう説明をした。

 「まず、真ん中に描かれているのは、大日如来といって、宇宙の真理を現す知恵の仏様で、イメージカラーは、太陽光の白色で、獅子の台座に乗っております。

 大日如来の東側(右)に見えるのは、アシュク如来で、森羅万象を鏡のように映し、障害や悪を打破するパワーを持った仏様で、イメージカラーは、夜明け前の青色で、象の台座に乗っております。

 大日如来の南側(下)に見えるのは、宝生如来で、あらゆる機会平等の知恵を現し、財宝や幸運を呼ぶ仏様で、イメージカラーは、南の太陽光の黄色で、馬の台座に乗っております。

 大日如来の西側(左)に見えるのは、阿弥陀如来で、正しい観察の知恵を持ち、慈悲深い仏様で、イメージカラーは、日没前の赤色で、孔雀の台座に乗っております。

 大日如来の北側(上)に見えるのは、不空成就如来で、必要なことを行う知恵を持ち、作用や結果を見守る仏様で、イメージカラーは、日没後の黒緑色で、ガルダ鳥の台座に乗っております。

 このように、5つの知恵を持つ如来を描いた曼荼羅を「金剛界曼荼羅」と言います。即身成仏のマニュアルを図形化した「金剛界曼荼羅」は、山岳仏教として有名なチベット仏教においては、曼荼羅の基本であります。この曼荼羅の絵を頭の中に叩きこんでいれば、この壁の向こうにあるおびただしい数の仏様も、実は、規則正しく、わかりやすく並んでいることが理解できるはずです。それでは、この壁の向こうに行ってみましょうか。」

 そして、中村住職は、中央に配置された大日如来の右側(東)に位置していたアシュク如来のすぐ右側の壁を押した。すると、「ギッ!」という音と共に、曼荼羅の描かれていた壁は、向こう側に90度動いた。中村住職は、90度動いた壁の隙間に入って行った。我に帰った青木と石川は、急いで中村住職の後を追った。

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