十六 白い木の根っこのある場所

 明治3年(1870年)12月最初の日曜日、大山の中にある粘土を採集したダムのような石造物のある場所で、陶磁職人の稲垣銀次郎と別れてからどれだけの時間がたったのか、地下施設の中にいる江岩寺の中村住職と青木平蔵と石川喜兵衛には、さっぱりわからなくなっていた。そして、今、青木と石川は、中村住職の後を追いかけて、金剛界曼荼羅の図に従って配置された、200体以上はあると思われる、青木や石川と等身大の大きさの仏像の背中を見ながら、前へ前へと進んでいた。その様子は、まるで、巨大迷路の中を進む3人である。そして、15分ほど、巨大迷路の中を進んでいくと、3人の先には、ゴールのテープのように細長く伸びた、石製のカウンターが見えた。

 石のカウンターの前には、一人のみすぼらしい恰好をした白いひげの老人がたたずんでいた。

 「孝三さん、お待たせしました。今、何時位ですかね?」

 江岩寺の中村住職が白いひげの老人に尋ねると、白いひげの老人は、こう答えた。

 「今、ちょうどお昼頃ですよ。大体これくらいの時間になるんじゃないかと思って、住職の奥さんのふねさんに頼んで、4人分のおにぎりを作ってもらい、お茶を用意してもらいました。私の家は、このカウンターの奥に見える白い木の根っこのある場所から5分位東側に入った所の洞窟の中にあります。江岩寺の中村住職から、今日の計画を聞いていたので、今日は、当初の予定通り、家から一旦江岩寺に行って、中村住職の奥さんから4人分のおにぎりとお茶をもらったあと、待ち合わせ場所であるカウンターの所に来て、3人を待っていました。

 ほら、あれが、白い木の根っこのある場所ですよ。」

 白いひげの老人が指をさしたその先には、おびただしい数の仏像の曼荼羅の右側奥の方に、白い木が天井に向かってにょきっと生えているのが見えた。白い木の幹は天井を突き破っていた。

 「仏像の背中ばっかり気になって、気が付かなかったな。」

 青木がそうつぶやくと、石川が興奮してこう言った。

 「あの白い木の根っこのある場所に行ってみたいのですが、いいですか?」

 「ああ、あそこで、おにぎりを食べようか。」

 江岩寺の中村住職がこう言うと、そこにいた4人は、いっせいに、白い木の根っこのある場所に向かって、仏像の間をかいくぐって進んで行った。

 白い木の根っこのある場所には、木から1mくらい離れた場所に、1mくらいの長さの石製のベンチが2個置かれてあった。迷子になった中村住職の子供の光太郎と幸次郎は、このベンチに座り込んでいた所を、犬を連れて散歩にやってきた一条院孝三に見つけられ、保護されたのであった。そして、白いひげの老人である一条院孝三は、他の3人におにぎりとお茶を配り、それぞれに、ベンチに座るようにうながした。

 「この白い木は、幹の大きさが3m位、高さが15m位あります。この部屋の高さが10mくらいですから、この白い木は、天井を突き破って、入鹿池の底に、にょきっと頭を見せているのです。」

 一条院孝三は、おにぎりをほおばりながら、青木と石川に向かって、この白い木の説明を始めた。中村住職と青木と石川も、石のベンチに座って、おにぎりを食べながら、一条院孝三の話を聞いた。

 「この白い木は、樹齢1300年以上になりますかね。その割には、とても小さな木でしょう?

 私の祖先は、今から1300年くらい前に、朝鮮半島から旧入鹿村にやってきた帰化人です。この白い木は、その頃、私の祖先たちが実験的に植えた木です。彼らは100本ほどの木の苗を、この地下施設の中のあらゆる所に植えて、木の苗が成長するかどうか実験したのです。もちろん、木の成長をうながすために、苗木の周囲にたくさんのキノコを一緒に植えてね。

 他の場所に植えた木の苗は、皆立派に成長していきました。そして、どの苗も幹の大きさが4mくらい、高さが20mくらいの大木になって、地下施設の天井を突き破り、外に出ると葉を茂らせて光合成をして、ますます大きくなっていきました。

 しかし、この木だけは、白くほっそりとしたまま、ひょろひょろとして、なかなか成長をしません。私たちの仲間は皆、「この木は、いつか枯れてしまうんじゃないか。」と心配したものです。

 だから、今から270年くらい前に、この白い木の先端が天井を突き破って、外の世界に出てきたときには、旧入鹿村の者たちは皆、この木の成長を祝福しました。そして、白い木が天井を突き破って成長した先が、白雲寺というお寺の境内だったのです。旧入鹿村に住む皆は、白雲寺の境内にある、白い木が頭を出した場所を丸い石で取り囲み、石掛跡として、旧入鹿村の観光名所にしました。

 しかし、その30年後、入鹿池の築造が決まり、光合成をしようと葉を茂らせはじめていた白い木の先端は、入鹿池の底に沈んでしまいました。私たちは、白い木の根元に住んでいますので、白い木の先端が入鹿池の底に沈んでも、木が生きていることはわかります。しかし、白い木の先端が外に頭を出してから、230年以上が経過して、あの日、入鹿池の底で、青木さんと石川さんと一緒に白い木の先端を見た時は、感動しました。長い間水の中にあったせいで、木の葉は全て抜け落ちていましたが、木は、きのこから送られる水分やミネラル分だけでも、立派に、1300年以上も生きられるんですねえ。」

 「でも、なぜ、江戸幕府は、入鹿池を築造し、明治政府は入鹿池を存続させようとするのでしょう?そして、私たちは、なぜ、今まで、この話を知らされなかったのでしょう?」

 石川が一条院孝三にこのように尋ねると、一条院孝三は、こう答えた。

 「その疑問に答えを出すためには、日本人が今まで歩んできた歴史そのものを解説する必要があります。長い話になりますよ。今日は、この場所の右側奥にある私の家に泊まって行きませんか?

 私は、一条院家を継ぐ者として、この地下施設の守役をしていますが、私の本職は農業です。私とその家族の者たちが耕す畑は、大山村にあります。

 さっき、私たちの待ち合わせ場所に使った石製のカウンターの正面には、大山村に続くトンネルがあり、トンネルのゆるやかな上り道を30分ほど歩くと、大山の山の中に出ます。私たちは、そのトンネルを通って、太陽が照る昼間は大山村の畑で農業をし、夕日が沈むころに、トンネルを通って、家に帰ってきます。だから、私の家には、採れたての旬の野菜と日本酒がありますよ。昼すぎからは、家内が野菜の収穫のために、大山村にある畑に出向くことになっていますから、その時に、江岩寺によってもらって、住職の奥様のふねさんに、今日は中村住職と青木さんと石川さんは私の家に泊まる旨を伝えてもらえば、皆、心配しないでしょう。」

 そして、一条院孝三と江岩寺の中村住職と青木平蔵と石川喜兵衛は、おにぎりを食べ終わると、白い木の根っこのある場所から5分位右側奥に入って行ったところにある一条院孝三の家に入って行った。

 一条院孝三の家は、洞窟の中にある家という雰囲気だったが、玄関で靴を脱いで、通された部屋には、囲炉裏が切ってあり、囲炉裏の真ん中には、上からぶらさげた鉄製のやかんと、鉄網が置かれてあった。部屋の中の照明は行燈と囲炉裏から出る火だけなので、薄暗い感じのする部屋だが、それはそれで、雰囲気はいいな、と、青木と石川は思った。

 「大丈夫。送風口はちゃんと外にある大山の山の中につながっていますから、酸欠になることはありません。」

 一条院孝三は笑いながらこう言うと、囲炉裏に火を点けた。

 「青木さん、石川さん、ちょっと、手伝ってもらえる?」

 一条院孝三は、青木と石川を連れて台所に行き、昨日奥様が作ったという煮物を4つの皿に取り分けた。そして、陶器でできた酒瓶4つとおちょこ4つを盆に載せて、石川に囲炉裏の部屋まで運ばせた。煮物4皿と取り皿4つと割り箸4つは青木が盆に載せて、囲炉裏の部屋まで運んだ。囲炉裏の部屋では、中村住職が、火の番をしている。

 そして、一条院孝三は、採れたての野菜とキノコ、市場で買った干物の魚、入鹿池で釣ったワカサギを5尾くらいさした串を4串と長い鉄箸を持って、囲炉裏のある部屋に現れた。

 「じきに、家内が、採れたての野菜を持って、家に帰ってきますから、その頃には、おつまみが更に増えますよ。」

 一条院孝三は、そう言うと、囲炉裏の前に座り、野菜やキノコや魚を鉄網の上に載せながら、話し始めた。

 「この地下施設を最初に造ったのは、今から約1670年前にこのあたりに住んでいた狗奴国の人々です。当時、狗奴国は邪馬台国という国と敵対関係にあり、敵に知られてはならない軍事拠点を地下に造ったのです。」

 青木と石川と中村住職は、おつまみの煮物を少しづつ食べ、お猪口で酒を少しづつすすりながら、一条院孝三の話に聞き入った。

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