二十六 十字紋

 「8年ぶりの再会になりますかね。よく、私たちのことを覚えていてくださいましたね。」

 上末村にある陶昌院にて、比叡山延暦寺の僧侶である雲海は、落合将監安親の息子庄九郎と対面し、このように言って握手を交わした。そして、了慶も感慨深げに握手を交わした。落合庄九郎は、了慶と握手を交わしながら、こう言った。

 「いつか、皆様はここを訪れると思っていましたよ。さっそく、シャンバラまで、皆様をお連れしなければ。

 そして、皆様が考えて造った木曽川堤防のおかげで、あれから今までの間に、一度も木曽川で洪水が起こったことはありません。ここらあたりの者たちは、皆、秀吉殿には感謝しているのです。」

 そして、落合庄九郎は、昼間にもかかわらず、持ってきた3つの行燈のうち2つを雲海と了慶に渡し、雲海と了慶を連れて、陶昌院を出た。陶昌院から、壊れた森下城とは反対側に出ると、細い路地の片側に小さなお地蔵さまが道の奥まで並んでいるのが見える。お地蔵さまの列は、300mほど続いて、小さな路地の行き止まりで終わっており、お地蔵様の列が終わった行き止まりの路地の左側に目を向けると、そこに、細くカーブした路地が見える。路地はカーブしているため、路地の行き止まりが見えないのだが、雲海と了慶が落合庄九郎の後についていくと、500mほどで、路地は立ち並んだ家の壁にぶちあたった。落合庄九郎は、その路地を更に右に曲がって、雲海と了慶にこう話しかけた。

 「上末村の集落は、迷子になりそうなほど、入り組んだ路地が四方八方につながっています。上末村は、奈良時代や平安時代の昔に、窯業地帯として栄えた篠岡丘陵の西の端にあります。だから、ここらへんは、奈良時代や平安時代の昔には、窯業地帯で働いている人々が住居を構えた場所でもありました。そして、昔から、様々な人がここに来て家を建て、それを壊して、また、新しく来た人が新たな家を建て、そうこうしているうちに、歴史の流れとともに、このように入り組んだ路地を持つ村になってしまいました。

 これから、皆様をお連れするのは、直接シャンバラへ通っている地下水路の起点にある「貴船神社」です。貴船神社の境内には、アベマキの木がありますが、この木は、幹の太さが4m、木の高さが25mもある巨木です。だから、貴船神社に行くときは、遠くにアベマキの木を確認してから、木に向かって、歩けば、どんなに路地の中で迷子になろうとも、貴船神社にたどり着くことができますよ。ほら、あそこに見えるあの背の高い木ですよ。」

 雲海と了慶の目に、落合庄九郎が指を指した、他のどの建物よりも目立って背の高い大きな木が、映った。

 「ああ、あの木か。よし、わかった。あの木を目指して行けば、貴船神社にたどり着くのだな。」

 雲海がこう言うと、3人とも、貴船神社境内にあるアベマキの木を目指して、狭い路地の中をくねくねと進んで行った。

 貴船神社横の入り口にたどり着いた雲海の目に最初に映ったのは、1本の灯篭とその先に見える下りの階段だった。

 「ああ、あの階段を下りていけば、船着き場にたどり着くのだろう?」

 雲海がこう聞くと、落合庄九郎は、こう答えた。

 「いえいえ、灯篭横のあの船着場から続く地下水路は、大山寺という今は廃寺になった山岳寺院の山の中に着いてしまいます。我々の目的地は、入鹿村地下にあるシャンバラという地下施設です。シャンバラへ行くためには、貴船神社本殿床下から下りの階段を下りたところにある船着き場を目指さなければなりません。」

 そういうと、落合庄九郎は、左を向き、参道の途中にある灯篭から50mほど先にある本殿の建物の中に雲海と了慶を招き入れた。

 落合庄九郎は、貴船神社本殿の中に雲海と了慶が入ったことを確かめると、本殿の扉を閉めた。貴船神社の本殿は、8畳ほどの広さしかない小さな本殿で、本殿の部屋の正面には、一段高いところに、鏡と櫛の先に白い紙のついた御幣がまつられている。そして、落合庄九郎は、本殿の床の中央に座り込み、2つの取手のような黒く出っ張ったものに左右の手をかけて、床を観音開きに開いた。観音開きに開かれた床の下には、人が二人くらい通ることができる大きさの階段が下まで続いている。落合庄九郎は、皆の行燈に火をつけて、雲海と了慶が床下にある階段に入ったことを確かめると、観音開きの扉を頭の上で閉めた。

 そして、3人が階段を10mほど下りた時、了慶が「あっ!」とあげた声が地下道に響いた。

 「どうかしましたか。」

 落合庄九郎が了慶の方を振り向くと、了慶は、ちょうど頭のあたりにあった地下道の天井を指して、こう言った。

 「この白い土の層は、カオリンの層ではないか?」

 「本当だ。他の場所に比べるとこのあたりだけ、真っ白に輝いて見える。」

 雲海がこう答えると、了慶は、落合庄九郎に対して、このように説明を始めた。

 「今から7年前くらいの話になるのだが、秀吉殿が起こした文禄の役で、朝鮮半島に進軍したある九州の大名が、朝鮮半島から、一人の陶工を日本に連れてきた。その陶工の作る磁器というものは、それは白くて美しい器で、今まで、日本では、そのような器は見たことがない。それで、日本に来たその朝鮮人の陶工に、その美しい白い器の作り方を日本に伝授してほしいと、秀吉殿が頼み込んだのだ。

 そして、日本に来た朝鮮人の陶工は、自分の技術を伝授するために、九州に工房を持ち、多くの日本人の弟子を指導した。その朝鮮人の陶工がまず、皆に指示したのは次のようなことだ。

 「カオリンという名前の白い土を探してきてほしい。あの白い土がなければ、朝鮮白磁のような高級な器は作ることができない。この日本にも、どこかに、カオリンが眠っているはずだ。」

 もしかしたら、これがカオリンなのかもしれないですよ。また、後日、朝鮮人陶工の弟子を九州から連れてきて、見てもらいましょうか。」

 そう言うと、了慶は、頭の上にあった白い土を一握り掘り出して、持ってきた巾着袋の中に入れて、袂にしまいこんだ。

 そして、更に10mほど階段を下ると、3人の目の前に船着き場が現れ始めた。船着き場には、1艘の木の船が結び付けられている。落合庄九郎が木の船の先頭に立って、船の櫂を握り、雲海と了慶は船に座り込んだ。落合庄九郎が船に結び付けられた縄をほどき、船をこぎ始めると、雲海はこう言った。

 「もしかしたら、上末村は、お宝の宝庫なのかもしれませんよ。本当にここに来てみて、正解だったですよ。」

 すると、落合庄九郎がこう話し始めた。

 「この船は、シャンバラの船着き場につながっているのですが、今日、みなさんをシャンバラにお連れすることは、シャンバラ側の誰にも話していないのです。だから、もしかしたら、シャンバラのリーダーには会えないかもわかりません。そのときは、アポイントを取っておいて、後日、また、シャンバラに行くこととしましょうか。」

 そして、1時間ほど地下水路を進んだ船は、シャンバラの船着き場に到着した。雲海と了慶は、船から降り、落合庄九郎も船から降りて、船を船着き場の縄に結わえると、目の前にあった階段を上り始めた。階段を5分ほど上ると、目の前に石でできた扉が見え、石の扉の前には、全身を兜で武装した二人の武士が、こちらを見て、立ちはだかっていた。

 落合庄九郎は、二人の武士に自己紹介をし、かつて秀吉殿のブレーンだった比叡山延暦寺の僧侶たちを連れてきていることを告げて、

 「突然のことで、申し訳ないが、シャンバラのリーダーに会わせてほしい。」

 とお願いした。

 すると、一人の武士が、石の扉の向こうに入って行き、しばらくしてから、戻ってきた。そして、3人にこう言った。

 「今、ちょうど、弥助殿と家康殿が中にいるところです。どうぞ、お入りください。」

 「家康殿?」

 落合庄九郎と比叡山延暦寺の僧侶たちは、心の中でこう叫び、一瞬たじろいだが、ここまで来たら、仕方がない。度胸を決めて、3人は、石の扉の向こうに入って行った。

 石の扉の向こうは、20畳位の広さがあり、天井の高さは3mある、石の壁の四角い何もない部屋だった。四角い部屋の真ん中には、大きな松明が置かれ、部屋の4隅の壁には、行燈が掛けられていた。そして、落合庄九郎たちから見れば、部屋の左側隅あたりには、40代くらいの黒人の男と60代近い初老の日本人の男が丸いござの上で向き合って座り、こちらを見ていた。そして、部屋に入ってきた3人の男の姿を確認すると、立ち上がって、こちらに近づいてきた。

 「徳川家康公か!」

 落合庄九郎も比叡山延暦寺の僧侶である雲海と了慶も、思わず、身構えて、後ずさりした。家康は、そんな3人の異変に気付き、笑顔で、語り掛けてきた。

 「今は、敵も味方もないであろう?そのようなことを言っておられる時期ではないであろう?」

 「まっ、まあ、そうだな。秀吉殿が亡くなった今となってはな。」

 落合庄九郎たち3人は、心の中で努めて、平静を取り戻すように心がけた。

 「弥助殿、どうであろう。この3人にシャンバラの中を案内してみたら。」

 家康がこう言うと、弥助は、家康の言葉に答えて、こう言った。

 「そうですね。それでは、これから、皆様をシャンバラの中にご案内いたします。こちらへどうぞ。」

 そして、弥助と家康と落合庄九郎と雲海と了慶は、部屋を出て、トンネルの中を進んで行き、鉄梯子を上がって、白い木の根元にたどり着いた。

 「これは、貴船神社の御神木ではないか?というか、貴船神社の御神木の意味は、このことだったのか?」

 白い木を眺めながら、雲海と了慶が不思議な気持ちでいると、弥助は、皆に向かって、こう言った。

 「シャンバラは、入鹿村の地下に張り巡らされた巨大な地下施設です。この地下施設は、太古の昔から、様々な人々によって利用されてきましたが、シャンバラの特徴は、山岳寺院大山廃寺との関係性にあります。シャンバラには、太古の昔から今までの間にシャンバラの中で作られた、とてもたくさんの刀と仏像が保管されています。そして、それらのものを管理することが、今の私の仕事でもあります。

 では、まず、この白い木の根っこのある場所から一番近い所にある、仏像の曼陀羅を見に行きましょうか。」

 そして、弥助に案内されて、家康と落合庄九郎と雲海と了慶は、仏像の曼陀羅を見て回った。

 「すごい。これだけの仏像があれば、今すぐ、延暦寺は再興が可能だ。」

 そう言ったのは、雲海だった。

 「そうですね。もし、天下を取ることができるのがこの家康だとしたら、比叡山延暦寺再興は、家康にとって、重要課題になるでしょうね。」

 家康は、雲海と了慶に向かって、こう言った。

 すると、突然、了慶が、10cm位の大きさの小さな仏像を手に取って眺めながら、「あれっ?」と声をあげた。

 「この仏様、胸のあたりに小さな傷がある。ちょうど、私たち人間が蚊に刺されたとき、かゆくなった箇所を爪で十文字に押すと、かゆみが和らぐだろう?あんな感じの傷がこの仏様の胸のあたりにある。」

 了慶のこの言葉を聞いて、ぎょっとした様子の弥助は、了慶の持っている仏像をのぞき込み、次の瞬間、愕然とした様子で、後ずさりした。弥助の驚いた様子を見た家康が、了慶の持っている仏像をのぞき込んだ。

 「この傷は、全ての仏像に入っているのか?」

 上ずった家康の声を聞いた雲海と了慶は、その他の仏像の胸のあたりを見て回った。そして、途中から、気を取り直した弥助も加わって、傷がついていると考えられる仏像を石のカウンターの上に並べていった。

 全ての仏像に傷が入っているわけではない。傷が入っている仏像は、どれも、大きさが10cm位の、手で持つことができる小さな仏像ばかりだった。そして、雲海と了慶と弥助が探し出した、傷がついた仏像は、20体あった。

 石のカウンターの上に並べられた20体の仏像の傷は、どれも、仏像の胸のあたりにあり、5mmほどの大きさの十字の形をしている。中には、仏像のおなかのあたりに、何か、小さな人間の赤ちゃんのようなものが彫り込まれているものもあった。

 「十字紋だ。あいつら、いつの間に、ここに入り込んだのだろう。今まで、全然、気が付かなかった。」

 弥助は、うなだれながら、こう言った。

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