二十六 昭和という時代の終わり

 大山廃寺跡で発掘調査が行われてから約10年後の昭和64年(1989年)1月1日、91歳になる渡辺周五郎は、何とか、自宅で年を越すことができた。自分の知り合いは、もう、全員、この世には生きていない。自分は、なぜか、最後まで生き残ってしまった。

 最近、渡辺は、今自分が生きている世の中に起こっている事柄を知っておきたいという欲求にかられていた。だから、渡辺がテレビで好んで見る番組は、ドラマよりもニュースの番組であった。最近のニュース番組での話題は、昭和天皇の体調に関する話題だ。どうやら、昭和天皇の体調が最近すぐれないらしいのだ。

 正月、渡辺の家には、子供たちが遊びに来ていた。小さい子供たちは、渡辺のひ孫だ。いつのまにか、渡辺は、家族の中では、大おじいさんと呼ばれるようになっていた。そして、渡辺が90歳を過ぎても、自宅で過ごす事が出来るのは、子供たちがいるおかげだった。

 昭和64年(1989年)1月7日、夕刊の紙面には、「昭和天皇崩御」の字がでかでかと載った。宮内庁の発表によれば、昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分、吹上御所において、天皇陛下が87歳で崩御された、とのことであった。そして、昭和64年(1989年)1月7日・8日は、テレビ・ラジオの全てのメディアが、CMの入らない追悼特別番組を放送した。ほとんどの番組は、「激動の昭和」というように、昭和時代の歴史を取り扱ったが、中には、天皇制について考える討論番組も見受けられた。スポーツの大会、寄席・演劇・コンサートなどは中止か延期となった。企業・商店・レジャー施設は、2日間臨時休業となり、各自治体は、1週間、弔旗を掲揚した。

 昭和64年(1989年)1月7日午後14時36分、内閣官房長官の記者会見があり、新しい元号を「平成」とする、と発表があった。そして、昭和64年(1989年)1月8日は、平成元年(1989年)1月8日となった。

 「空気が変わった。」

 渡辺は、昭和64年(1989年)1月7日から平成元年(1989年)1月8日にかけての世の中の様子を見て、そう思った。渡辺にとって、昭和天皇は空気と一緒で、今まで、昭和の時代が終わって、新しい元号の時代が来るということについて、特別、考えたことがなかった。渡辺は、明治30年(1897年)生まれで、15歳の時、明治天皇が崩御して大正時代となり、29歳の時、大正天皇が崩御して、昭和時代となった。そして、昭和時代が始まってから、いつのまにか60年以上もの歳月が経過していた。そして、自分の知り合いは、今、一人もこの世に生きていない。

 渡辺は、今までの自分の人生の中で、学校を卒業して警察官の仕事をし、愛知県警特別高等課に配属が替わり、戦後は、喫茶店の経営者として、何とか、家族を守って来た。そして、91歳になる渡辺の毎日の生活は、朝8時頃起きて、仏壇に手を合わせ、朝食を食べると、家から出て、歩いて近くの図書館まで行って、本や雑誌や新聞を読み、昼には、近くの図書館から歩いて家に帰り、昼食を食べ、テレビを見て、庭の花に水をやったり、学校から帰ってくるひ孫と話をしたりし、渡辺がする唯一の家事である洗濯ものの取り込みをしてから、夕食を食べ、お風呂に入って、夜10時頃には寝るということの繰り返しだった。洗濯やそうじや食事を作ることは、渡辺の子供や孫がやってくれた。

 平成2年(1990年)1月のある日曜日の朝9時頃、小学校1年生になる渡辺周五郎のひ孫は、朝8時頃起きてきて、パジャマのままで、家の中をばたばたと歩き始めた。そして、渡辺の孫の奥さんが、

 「大おじいちゃんは、まだ寝ているから、寝室に入ってはだめだよ。」

 と、子供に注意する声がした。

 一方で、渡辺の62歳になる娘信子が話す心配そうな声も聞こえてくる。

 「今日の大おじいちゃんは、まだ、寝てるの?珍しいわねえ。いつもこの時間になると起きてくるんだけどねえ。ちょっと、大おじいちゃんを見てくるわね。」

 渡辺の62歳になる娘信子は、浴衣の上に分厚い茶色いニットのカーディガンをはおって、2階に上がっていった。信子が2階に上がると、渡辺が寝ている部屋の扉が開いているのが見えた。

 信子は、「あれ?」と思い、そっと、渡辺の部屋の中に入って行った。部屋の中では、渡辺のひ孫の小学一年生の男の子が、寝ている渡辺の顔をじっとみつめていた。

 「あら、だめじゃないの。大おじいちゃんの寝ている部屋に入ってはだめだと言ったでしょう?」

 信子は、寝ている渡辺の顔を見つめているひ孫の方へ駆け寄っていくと、ひ孫の手を引いて、ひ孫を渡辺の部屋から出そうとした。けれども、ひ孫は、動こうとせず、相変わらず、渡辺の寝顔を見つめている。そして、信子も渡辺の寝顔を見た。渡辺は、目を見開いて、口を開けたまま、ベッドに横たわっていた。渡辺はその時、92歳であった。

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