二十七 延暦寺再興

 「傷つけられた仏像は、シャンバラの中にある物だけなのだろうか。江岩寺の仏像は、大丈夫なのだろうか?」

 弥助は、仏像の管理の仕事をしている部下の守り人一条院佐助を呼んだ。そして、一条院佐助に、傷がついた仏像を見せ、

 「江岩寺に行って、江岩寺の仏像にこれと同じような傷が入っていないか、見てきてほしい。」

 と指示した。

 そして、弥助は、比叡山延暦寺の僧侶である雲海と了慶に、弥助がシャンバラに来た経過や、シャンバラには、比叡山延暦寺との間で、かつて争った歴史はあるが、今の弥助は、比叡山延暦寺とは、助け合っていきたいと考えていることも明かした。

 「家康殿の言う通り、日本は、早く天下統一して、平和な世の中にならなければなりません。」

 そして、弥助は、こう付け加えた。

 「ところで、私は、日本へ来る前にイエズス会に雇われていたため、キリスト教の洗礼を受けているのです。しかし、日本へ来て、信長公の小姓として、信長公に仕え、本能寺の変を経験して、シャンバラにたどり着いて、生きていくために寺の修行を頑張っているうちに、仏教徒としての知識が身につき、今は、シャンバラのリーダーとして、仕事ができるほどになりました。

 イエズス会は、私に、もう一度、キリスト教徒になれと言うのでしょうか?私はもう、キリスト教徒になる気はありません。私は、一生、イエズス会から逃げ続けたい。」

 「イエズス会が日本にいる目的は、キリスト教の布教活動だ。イエズス会は、日本に、もっとキリスト教徒を増やし続けたいのだ。そのためには、かつてキリスト教徒だった弥助が、今、立派な仏教徒になっているという事実は、イエズス会にとっては不都合なのだろう。」

 家康は、弥助にこう言った。そして、しばらく、沈黙の時間が周囲に流れた。

 「家康殿、もし、私が天下を取ることができたら、延暦寺再興は、重要課題の一つだと、さっき、家康殿はそうおっしゃいましたよね。」

 沈黙の時間を破ったのは、比叡山延暦寺の僧侶雲海だった。

 「シャンバラは、明らかに、イエズス会から目をつけられている。しかも、シャンバラは、人の目に触れることのない地下施設だ。九州の方では、かつて、仏教寺院がキリスト教徒の手によって破壊される事件が起きたが、それを見た地元の人々がキリスト教徒の非難をしたことで、秀吉殿はキリスト教の禁教令を出したのだ。

 もしも、シャンバラに侵入したイエズス会の狙いが弥助殿だけなのなら、弥助殿は、ここにいるべきではない。しばらく、比叡山延暦寺に身を寄せてはいかがでしょう。延暦寺は、再興のために弥助殿のような人物が必要である、という意味で。」

 「そうだな。比叡山延暦寺再興のためには、ぜひ、私の息のかかった者を一人は、比叡山におく必要があるだろうな。」

 家康は、雲海に対して、こう答え、付け加えて、こう言った。

 「弥助の気持次第だな。」

 そして、江岩寺の仏像を見に行った守り人の一条院佐助が、奥の院アガルタに戻ってきて、江岩寺にある仏像が全て無事であることを皆に告げた。その話を聞いた比叡山延暦寺の僧侶である了慶は、着物の袂を探って、巾着袋を取り出して、弥助に次のように提案した。

 「どうやら、私たちは、後でまた、この地域に来ることになりそうなのです。実は、これを見てください。」

 そう言って、了慶は、巾着袋の中から白い土を一握り取り出して、皆に見せながらこう続けた。

 「この白い土は、上末村の貴船神社本殿床下から船着き場まで下る途中で見つけた物です。この土は、「カオリン」と言って、朝鮮白磁や景徳鎮などの高級な焼き物を作るためには絶対に必要な土なのです。

 亡くなった秀吉殿が行った文禄・慶長の役で朝鮮半島に進軍したある九州の大名が、高級な焼き物を作る朝鮮人の陶工を日本に連れてきたことは、家康殿もご存知ですよね。そして、九州にある朝鮮人の陶工の工房にいる日本人の弟子たちが今、血眼になって探しているのが、この「カオリン」という白い土なのです。

 私たちは、3か月後、九州にある朝鮮人の陶工の工房にいる日本人の弟子たちの中から一人か二人連れて、もう一度、上末村を訪れることになるでしょう。その時、もう一度、私たちは、シャンバラの奥の院アガルタに来るつもりです。その時までに、弥助殿は気持を決めて、私たちにお聞かせ願えますか。」

 そして、奥の院アガルタの船着き場で、家康と弥助は、比叡山延暦寺の僧侶である雲海と了慶、落合庄九郎と別れの挨拶をした。その時、家康は、2枚の文を比叡山延暦寺の僧侶である雲海と了慶に渡しながら、こう言った。

 「朝鮮半島へ進軍して、朝鮮人の陶工を九州に連れてきた加藤清正殿は、私の古くからの知り合いだ。清正殿は、尾張地方で生まれたので、尾張地方のことはとても詳しい方だ。あの白い土を見たら、必ずや、朝鮮人陶工の日本人の弟子をこの地方に連れてくることを快諾するはずだ。この文は、加藤清正殿に宛てた大事な文なので、清正殿に会った時に、必ずや清正殿に渡してほしい。

 もう一枚の文は、比叡山延暦寺の天台座主に宛てた文だ。私の延暦寺再興に対する思いがつづられている。この文も、天台座主に会った時には、必ず渡してほしい。この2枚の文のことをよろしく頼みますよ。」

 そして、落合庄九郎が船の先頭に乗って、船頭として櫂を握り、比叡山延暦寺の僧侶である雲海と了慶が、一列に並んで船に乗り込むと、船着き場にあった船は、上末村に向かって、ゆっくりと出発した。船を見送りながら、家康は、弥助にこう話しかけた。

 「シャンバラにある仏像が、イエズス会によって傷つけられたのだとしたら、私が心配するのは、シャンバラにある大量の刀のことだ。もし、イエズス会が、あの膨大な量の刀を奪っていったらどうする。さっそく、刀を収納しているあの部屋を封印しなければ。

 刀の部屋は、製鉄所と仏像の曼陀羅の部屋の間に位置していたな。製鉄所側の入り口と曼陀羅の部屋側の入り口の二か所を封印して、刀の部屋に入ることができるのは、シャンバラの一部の人間のみとなるようにしないと。刀の部屋に入る必要がある時のみ刀の部屋に入ることができるように、蝋で2か所の入り口をふさぐのだ。

 刀の部屋に入るときは、蝋を溶かして、部屋に入ることとし、部屋から出るときは、蝋で再び入り口をふさぐ。手間がかかるが、その位用心しないと、刀は守れんからな。さっそく、明日からその作業にとりかかるように。」

 「わかりました。」

 と弥助は答えた。

 そして、弥助と家康が、船着き場から奥の院アガルタに帰ってくると、家康は、弥助にこう聞いた。

 「ところで、弥助は、延暦寺に向かう気持ちはあるのか?」

 弥助は、こう答えた。

 「私は、現在15歳になった息子と13歳になる娘と10歳になる息子と妻と共にシャンバラに住み続けてきましたが、比叡山延暦寺に向かうとなると、家族の者の意思を確認しなければなりません。まずは、家族の者と話し合う時間をもらえますか?そのあとで、私が下した決断を家康殿の使いの者に伝えるつもりでいます。」

 「わかった。それでは、また後程、使いの者の連絡を楽しみにするとしよう。

 ところで、近い将来、亡くなった秀吉殿の行った文禄・慶長の役で、人間関係がこじれにこじれた大名たちとこの家康との戦いが、始まるかもわからない。しかし、今日、このシャンバラにいて、私は、その戦いに勝てるかもしれないという確信を持った。やはり、シャンバラは、天下統一を目指した信長殿の心のふるさとであるだけのことはあるな。今、この時期にシャンバラに来て、本当によかった。弥助には、私の方から礼を言いたい。」

 すると、弥助は、家康にこう言った。

 「いえ、私の方こそ、イエズス会がシャンバラに侵入していたことを知らず、本当に、私の不徳の致すところでした。

 ところで、家康殿は、今日は、江戸に帰られますか?」

 弥助がこう聞くと、家康はこう答えた。

 「そうだな。比叡山延暦寺の僧侶たちが言っていたカオリンの層が見てみたいな。今回は、上末村経由で江戸に帰るとするか。」

 「わかりました。」

 そして、弥助と家康は、奥の院アガルタを出て、船着き場に着いた。そして、船着き場につながれていたもう一艘の船に乗った弥助は、船の櫂を握って、船の先頭に立ち、家康とその側近を船に乗せて、上末村の貴船神社本殿を目指した。

 シャンバラにおける弥助の居住区は、奥の院アガルタではない。弥助は、シャンバラの守り人である一条院佐助の隣の洞窟に家族とともに住んでいた。つまり、白い木の根っこのある場所の近くである。そして、白い木の根っこの隣にある洞窟とは反対側の白い木の根っこの隣におびただしい数の仏像の曼陀羅がある。イエズス会は、弥助の居住区のすぐ近くまで忍び込んでいたのである。弥助の家族は、15歳になった息子と13歳になる娘と10歳になる息子と妻である。

 弥助がシャンバラに来たころ、大山寺が廃寺になったおかげで、シャンバラは、大山寺にいた僧侶たちやら職人たちやら商人たちやら農業を営む人々やらで、ごったがえしていた。そして、シャンバラの地下施設は、どんどん大きくなり、入鹿村の地下には、一つの大きな村があるような状態だった。だから、シャンバラの中には、自然と学校ができていた。弥助の子供たちもシャンバラの中にある学校で学んでいた。そして、15歳になる弥助の息子は、今年、学校を卒業する。

 弥助は、一条院佐助の隣の洞窟にある自宅で、家族会議を開いた。弥助はこのとき、自分が、イエズス会とともに、アフリカからポルトガルを経て、日本に来て、信長公と出会い、信長公の家来となって、本能寺の変を経験し、シャンバラに来て、家族を持ったという今までのいきさつを家族に話した。そして、自分は、イエズス会とともに行動していたころは、キリスト教の洗礼を受けていたけれども、シャンバラに来てからは、仏教徒として働いていることも家族に明かした。そして、弥助は、二度とキリスト教徒にはならないという思いも家族に明かした。そして、家族の者にこう言った。

 「お父さんは、比叡山延暦寺の僧侶たちから、延暦寺復興のために、比叡山に来ることを求められている。だから、お父さんは、比叡山延暦寺に行こうと思っている。そして、9月にもう一度ここを訪れる比叡山延暦寺の僧侶たちにこの気持ちを伝えるつもりでいる。もちろん、シャンバラには、月一度くらい帰ってこようとは思っている。みつには、このシャンバラに残って、シャンバラを守ってほしいと思うのだが、みつの意見はどうだ?」

 「そうですね。子供たちの学校もまだ残っていますし。私はシャンバラに残って、ここを守って行こうと思います。」

 弥助の妻みつがこう返すと、弥助は、今度は、15歳になった弥助の息子である太助にこう聞いた。

 「ところで、太助は、もうすぐ学校を卒業するのだが、太助は、学校を卒業したら、どんな仕事に就くつもりなのだ?」

 すると、太助は、しばらく腕組みをして考え、

 「僕は、まだ、自分がどんな仕事につきたいかわからない。」

 と言った。弥助は、太助に対して、

 「そうか。もうそろそろ、自分の将来のことも考えた方がいいぞ。とりあえず今は、母さんと妹のうめ、弟の次助のことを見守ってやってくれ。」

 と答えた。そして、弥助は、家族の者たちに、最後にこう言った。

 「今後、お父さんは、延暦寺を再興するため、比叡山延暦寺の僧侶になるが、月一度は、シャンバラに帰ってくるつもりだ。父さんが帰ってくるたびに、皆の様子がどのように変わっていくのかが、楽しみだな。」

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