二十七 春望

 「春の望め(ながめ)」

 国破山河在 国破れて山河は在り

 城春草木深 城は春にして草木深し

 感時花濺涙 時に感じて花も涙を濺(そそ)ぎ

 恨別鳥驚心 別れを恨みて鳥も心を驚かす

 烽火連三月 烽火は三月に連なり

 家書抵万金 家書は万金に抵(あた)る

 白頭掻更短 白頭の掻きて更に短く

 渾欲不勝簪 渾べて(すべて)簪(かんざし)に勝えざらんと欲す

 八行ある漢詩を律詩と呼び、一行に五字の漢字があるので、このような漢詩を五言律詩という。この五言律詩は、杜甫が8世紀の中ごろに作ったと言われる有名な詩である。この詩の現代語訳は次の通りである。

 「春の眺め」

 国家の機構は破れて、ぼろぼろになってしまったが、山や川はそこにある。

 人影のない城のほとりは、春になって、草木が深く茂っている。

 時世の有り様に悲しみを感じて、花も涙をこぼすように、はらはらと散る。

 人々が散り散りになった様子を見て、鳥も心を驚かせている。

 春の三月になっても、各地で起こる反乱の火は、まだ、やまない。

 消息の途絶えた家族からの手紙は、万金に相当する。

 白くなった頭を掻けば掻くほど、髪の毛はぬけて、短くなる。

 頭にかぶる冠を固定する簪をさすことも、まるっきり、たえられない。

 この五言律詩は、中国の唐の時代の8世紀中頃に、安禄山の反乱が起き、反乱軍に捕らえられた唐の官吏であった杜甫が46歳のときにうたった詩である。杜甫は、この詩をうたった後、反乱軍の監禁から脱出して、家族と再会を果たし、家族を連れて、反乱軍の陣営から脱出する。杜甫がこの五言律詩をうたった8世紀の中ごろ、日本は、奈良時代で、奈良の大仏が建ち、正倉院や唐招提寺ができ、天平文化が全盛の頃であった。この頃、日本の尾張地方にある大山廃寺跡では、小栗鉄次郎が発見した17個の塔礎石群のある場所に、立派な五重塔が建っていた。

 杜甫が作ったこの五言律詩は、この小説の背景となる昭和時代より1200年ほど前に中国で作られたものだ。しかし、400字詰め原稿用紙500枚ほどにもなるこの小説の全ては、この五言律詩の中に表現されていると筆者は考える。そして、この小説の背景となった昭和時代から約70年後の2015年現在、愛知県小牧市にある大山廃寺跡の姿は、まさに、杜甫のこの五言律詩に集約されていると思うのだ。

 愛知県小牧市にある大山廃寺跡は、その一部分において、昭和時代の歴史を色濃く残す。塔跡には、昭和時代初期に小栗鉄次郎の発見した17個の塔礎石群があり、小栗鉄次郎が建てた、旧字で刻まれた、石標柱や「史蹟境界」の石標が所々にある。そして、児川には、昭和40年代、高度経済成長時代に建てられたいくつかの砂防ダムが存在していて、山の中に大山廃寺駐車場や舗装道路が存在している。昭和50年代に発掘調査が行われて、児神社境内は、普通の神社の境内と変わらなくなり、小栗鉄次郎によって昭和4年(1929年)に国の史跡に指定された塔跡の周囲1320平方メートル部分は、17個の塔礎石群を中心として、山肌まで緩やかな傾斜が続く平たい場所となった。山のふもとにある江岩寺の近くには、「文部省」「史跡境界」と新字で刻まれた石標が点々と見える場所がある。大山廃寺跡のある地元の言い伝えよりも1世紀以上もさかのぼった7世紀末には、すでに、大山廃寺跡には何らかの建物が存在していた可能性が、昭和54年(1979年)に発行された大山廃寺発掘調査報告書の記述の中に見える。

 つまり、「昭和」と言う時代は、こういう時代だったのだ。筆者は、昭和天皇と言う天皇は、日本歴代の天皇の中で、貴族から武士に権力が移行する時代に生きた後白河天皇や、武士の時代から明治維新にいたる近代化の中で天皇となった明治天皇に匹敵するほどの激動の時代に生きた天皇であったと思っている。そして、平成の世の中に生きる2015年現在の私たちは、昭和時代の歴史の上に私たちの歴史が存在していくことを知らない。この小説は、愛知県小牧市にある国指定史跡大山廃寺跡のガイドと共に、読者の皆様に、ある昭和時代を紹介するために書いた小説である。(終わり)

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