三 白い木

 標高275mの尾張富士頂上から175mほど山を下った所に、入鹿池の杁堤はある。白いひげの老人と石川と青木が尾張富士頂上から山道を下って入鹿池の杁堤に到着したとき、高さ25mほど、長さ720mほどの杁堤は、杁堤の東の端36mほどを残して、入鹿池の水によって破壊され、なくなっていた。そして、破壊された杁堤から、3つの小さい滝が流れていた。入鹿池は、周辺の山を源流とする今井川・小木川・奥入鹿川の3つの川を杁堤でせき止めることによって造られた溜池である。従って、3つの川をせき止めていた杁堤が破壊された今、3つの川は、通常の流れを取り戻して、山の麓までさらさらと流れていくのであった。

 白いひげの老人と石川と青木は、壊れた杁堤の前を通り、東に向かって680mほど歩き、まだ残っている杁堤の東の端にたどり着いた。そして、残っている杁堤の東の端を堤の上まで登った。残っている杁堤の東の端の堤の上から25mほど下を見下ろすと、入鹿池の底が見える。白いひげの老人と石川と青木は、老人を先頭にして、青木、石川の順番に一列になって、入鹿池の底に向かって、堤を下りはじめた。

 3人は、最初のうちは、足場が安定している所を確認しつつ、乾いた土の上を下りていた。しかし、5mほど堤を下りると、周辺の土は、岩石の混じった泥土になった。ここから先は、19日ほど前までは池の水が張っていた場所だ。3人は、安定した岩石を足で探しつつ、泥土の中を滑らないように、慎重に下りて行った。

 20mほどある泥の斜面を、岩石を足場にして、慎重に下りていく3人は、すぐに泥だらけとなった。白いひげの老人は、みすぼらしい恰好をしていたので、まだ気にはならない。しかし、青木と石川は、普段、城に出勤する、見栄えのいい羽織と袴と足袋と草履で入鹿池の底に向かっていたので、足袋と草履は泥でぐちゃぐちゃに汚れ、羽織と袴も泥だらけになった。そして、3人は、入鹿池の底に降り立った。

 入鹿池の底は、水はないが、草履が泥の中にめり込むほどだった。青木と石川は、滑らないように気を付けながら、必死で、白いひげの老人について行った。入鹿池の底は、杁堤の決壊と共に、水が全て外に流れていったようで、生き物の気配が感じられない。235年前には、入鹿村が存在していたという入鹿池の底は、235年間水の中にあったためか、木製の建物は、朽ち果てて水にとけてしまったようである。周囲の長さが16kmある入鹿池の底は、ただただ、だだっ広い、黒い泥が山の際まで広がる空間だった。そして、上を見上げれば、6月の梅雨入り前の太陽の光が3人と黒い泥を照らしていた。

 白いひげの老人は、入鹿池の底の真ん中に来た。そこには、丸い石が寄せ集められている場所があった。寄せ集められた石の真ん中から、老人の背丈の半分くらい、大体1mくらいの大きさの木が一本生えている。そして、その木は、今まで水中にあったためか、木の葉も皮もなくなっている白い生木であった。青木と石川が白いひげの老人に追いつくと、白いひげの老人は、丸い石が寄せ集められ、寄せ集められた石の中から木が1本生えている場所を見ながら、こう言った。

 「ここが、尾張富士から入鹿池の底を見下ろすと白く乾いて見えていた場所です。昔、入鹿村がまだここにあった頃の天台宗のお寺「白雲寺」の石掛跡です。」

 白いひげの老人がこのように説明した後で、石川は、白い生木の幹を手で握り、木をゆすったり、抜こうとしたりしてみた。しかし、その木は、石川の力に反して、微動だにしない。そして、石川は、青木に向かって、こう言った。

 「どうやら、この木は生きているみたいです。」

 顔を見合わせる石川と青木を見て、白いひげの老人が何か言おうとしたその瞬間、後ろから声をかける者がいた。

 「そこで、何をしている。孝三さん、やめないか。」

 3人が振り返ると、3人の後ろに、髷を結っていない頭にブラウスとズボンと革靴を履いた洋装の男が立っている。男の靴とズボンは、入鹿池の底を歩いてきたため、泥だらけであった。その男は、白いひげの老人に向かい、こう言った。

 「大久保卿に「入鹿池の杁堤が決壊して、多数の死傷者が出ている模様なので、現地に行って、見てきてほしい。」と言われ、今日、こちらに着いたのです。そして、入鹿池の壊れた堤に登ってみたら、孝三さんたち3人が池の中心に向かって歩いて行くのが見えたので、追いかけてきたのです。お前ら、ここは危ないから、早く、出ろ。決壊した入鹿池の杁堤は、また、修復されて、ここは、再び、池の底となる。」

 これを聞いて、白いひげの老人は、洋装の男に向かって、怒りをあらわにした。

 「入鹿池の杁堤が切れたのは、明らかな人災だ。4月から雨は降り続いていたのに、小牧奉行所が何もできなかったのは、小牧奉行所と尾張藩と明治政府の間に意思疎通がなかったからだ。林様たち明治政府は、何もかも急ぎ過ぎているんじゃないですか?明治政府は、江戸城の周辺以外の所には、目が行きとどいていないのではないですか?やはり、我々が頼りにできるのは、まだまだ、徳川幕府なのではないですか?」

 「孝三さんの言うとおりだ。」

 いつの間にか、一人の僧侶が白いひげの老人と青木と石川と洋装の男の後ろに現れていた。その僧侶は黒っぽい着物を着ていたが、足元の白い足袋と白い草履は、泥で真っ黒になっていた。白いひげの老人は、その僧侶を見て、親しげにこう言った。

 「これは、江岩寺の中村住職じゃないですか。お久しぶりです。住職も大宮浅間神社の夏祭りに来ていたんですか?」

 すると、その僧侶はこう答えた。

 「今日、大宮浅間神社の夏祭りに来てみたら、孝三さんを見たので、声をかけようと思い、近付いて行ったら、孝三さん、2人の立派な格好をした、私の知らないお侍さんと尾張富士を入鹿池方面に下りていくのが見えたんです。何となく、気になったんで、私も孝三さんの後ろについてきてしまいました。」

 その僧侶の話が終わらないうちに、洋装の男は、白いひげの老人に向かって、こう声をかけた。

 「孝三さん。私は、あなたに聞きたいことがたくさんあるのです。これから、私と一緒に来てもらえませんか?」

 「わかりました。」

 白いひげの老人は、そう言うと、僧侶の方に向き直って、僧侶にこう言った。

 「この2人の立派なお侍さん方を杁堤の向こうまで送ってやってくださいませんか?」

 「わかりました。任せてください。」

 その僧侶がこう言うと、白いひげの老人は、ほっとしたように、洋装の男の後ろについて、その場を離れていった。

 そして、その僧侶は、青木と石川に向かって、自己紹介をした。

 「はじめまして。入鹿池の南側にそびえる白山を越えた向こうに大山村という村があります。私は、大山村にある江岩寺という寺で住職をしている中村緑庵という者です。今年55歳になります。妻と一緒に住んでおりますが、子供たちは、2人とも独立して、一緒に住んでおりません。お二人の自己紹介をしてくださいませんか。」

 すると、石川がその僧侶に向かって、2人の紹介を始めた。

 「こちらの方は、名古屋にある尾張前大納言様(大政奉還後の尾張徳川家のこと)家臣の青木平蔵様で、私は、尾張藩付け家老である犬山城主成瀬家家臣の石川喜兵衛と申します。私たちは、2人とも、今年で25歳になります。」

 「そうですか。私の子供たちと同じ位の年頃ですね。」

 そう言うと、その僧侶は、

 「では、私の後についてきてください。」

 と言って、杁堤の方向に向かって歩き始めた。青木と石川も僧侶の後について行った。3人とも無言で入鹿池の底を滑らないように気を付けて歩いていき、堤にたどりつくと、両手で安定のよさそうな岩を探し求めつつ、20mほどの堤をよじ登って行った。

 そして、3人とも、残っている杁堤の東の端の堤の上にたどり着くと、その場に座り込んだ。3人とも、服が全身泥で真っ黒になっていた。

 「私は、この後、南にある白山を越えて大山村に帰りますが、お二人はどうするおつもりですか?」

 僧侶が石川にこう聞くと、石川は、こう答えた。

 「私たちは、ここから西に向かい、神尾村から安楽寺を超えて朝日村にぬける街道沿いを歩こうと思っています。入鹿切れで被害が大きかった被災地を見てから、犬山城の近くにある私の家に帰るつもりです。」

 そして、青木が僧侶にこう答えた。

 「私は、今日は、石川の家に泊めてもらうつもりです。」

 その言葉を聞いて、僧侶は、2人に向かってこう言ってから、入鹿池の壊れた杁堤の南の方向にある白山をめざした。

 「今、私が何を言っても、お二人の耳を通過していくだけですから、私は、今は何も申しません。しかし、これから、お二人の心の中には、某かの変化が現れるかもしれません。その時は、白山を越えた所にある大山村の江岩寺という寺をお訪ねになったらいい。大山村に来て、村人の誰かに「江岩寺はどこですか?」と聞いたら、みんな、教えてくれますよ。それでは、帰りの道中御無事で。」

 そして、石川と青木は、入鹿池の壊れた杁堤から西に伸びる、山と山に挟まれた街道沿いを歩き、朝日村に向かった。入鹿池の杁堤を壊して流れた水の道筋に当たる場所である。5月13日午前2時頃、決壊した入鹿池の水は、今、2人が歩いている、山と山に囲まれた街道沿いを走り、麓にある朝日村で、四方八方に流れていった。

 石川と青木が街道沿いを歩きながら、周囲の山を見上げると、15mほどの高さの所にある松の木や雑木の枝に、糸取車や、釣った魚を入れるかごや、ごみなどの生活用品が引っかかっているのが見える。その様子を見て、2人とも、無言で麓の朝日村まで歩いた。そして、朝日村から石川の自宅に至るまでの平野の道は、入鹿池が切れてから3週間もたつのに、途中まで、まるで、河原のように大きな石がごろごろしていて、全く、片付いていない状況だった。

 そして、石川と青木が石川の自宅に着いた頃は、日もどっぷり暮れていた。

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