四十七 名古屋城前市場最終日

  明治4年(1871年)1月20日、青木と石川は、持ってきた品物の陶磁器をランク別に3つに分け、それぞれのランクごとに棚に配置していく。一番左の棚には、稲垣から「これらの模様の入っていない白い陶磁器は、カオリンを多く使った白い陶磁器だから、最高ランクのものとして、他の陶磁器の10倍の値段で売るように。」と教えられた白い陶磁器を並べた。真ん中の棚には、カオリンが他の土の5分の1しか入っておらず、模様の入った、割と白い陶磁器を置いた。そして、一番右の棚には、カオリンを使っていない普通の模様入りの陶磁器を並べた。

 一番左の棚に置いた最高ランクの模様の入っていない陶磁器は、1月20日のうちに、全て買い手がついた。名古屋城に出入りしていた、制服を着た陸軍関係者が、上官や来客用にと全て買っていった。真ん中の棚の陶磁器は、陸軍関係者のうちで、陶磁器の趣味で、買っていく者が多いように見受けられた。そして、最も安価な一番右の棚の陶器の大量注文が入ったのは、名古屋城前市場最終日の1月23日だった。制服に勲章をたくさんつけた陸軍関係者が来て、一番右の棚の陶器をあと50円値下げしてくれたら、1000個買うという。青木は、1年の猶予をもらって、契約を完了した。

 そして、明治4年(1871年)1月23日、棚をかたずけて、木の板を大八車に乗せようとした石川は、大八車の中に、高さ10㎝くらいの白い円筒形の形をした蓋つきの陶磁器が入っているのを発見する。

 「これは、僕らが持ってきたものではない。林様にお願いして、名古屋城に返そうか。」

 石川が青木とこのように相談していると、先ほど、陶器を大量注文した、制服に勲章をたくさんつけた陸軍関係者が、いつの間にか、青木と石川の隣に立っていた。

 「それは、邪馬台国の卑弥呼が、仕事のときにいつも身に着けていた腕輪だ。」

 制服に勲章をたくさんつけた陸軍関係者は、こういった。

 「はあ?あなたのものなら、持って帰ってください。」

 石川が少し怒った口調でこう返すと、制服に勲章をたくさんつけた陸軍関係者は、こういった。

 「あと5分で、あなたがたは、名古屋城から出ていかなければなりません。ほら、名古屋城正門のところで、役人があなたがたの通行証を待ってますよ。あなた方は、自力で、入鹿池地下のシャンバラまで行ったそうですね。詳しいことは、食器の搬入のときに、あなた方に説明しますから、今日は、とにかく、その腕輪を持って帰ってください。私の名前は、陸軍大佐の加藤公平といいます。」

 制服に勲章をたくさんつけた陸軍関係者は、こういった。そして、加藤公平は青木と石川から大八車を奪い、名古屋城正門まで走っていく。青木と石川は、急いで、加藤公平と大八車の後を追いかけた。

 加藤公平は大八車を名古屋城正門の外に置くと、青木と石川が大八車に追いついたことを確認して、名古屋城正門を閉めた。名古屋城正門の外で立っていた明治政府役人の林は、青木と石川に通行証を返すよう促した。そして、林は、青木と石川から通行証を受け取ると、こういった。

 「自力で、入鹿池地下のシャンバラまで行った青木と石川なら、その腕輪のことくらい、調べれば、すぐにわかるさ。」

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