四 鉄次郎 大山廃寺跡に立つ

 愛知県史跡名勝天然記念物調査会主事の小栗鉄次郎が、なぜ、主事になってから2つめの遺跡調査を大山寺跡にしたのか。それは、小栗が、地元に古くから伝わる大山寺の言い伝えに感動したからである。小栗は、まだ豊田市の教員だった大正6年(1917年)36歳の頃に、初めて、40歳になる東京帝国大学の柴田常恵氏と会い、遺跡の存在する地元の言い伝えを調査することの重要性を学んでいたのであった。そして、その3年後、柴田常恵氏は、内務省地理課嘱託・史跡名勝天然記念物調査会考査員となっていった。柴田常恵氏と初めて会ってから10年後の昭和2年(1927年)7月、46歳の小栗は、愛知県史跡名勝天然記念物調査会主事となり、数多くの「愛知県史跡名勝天然記念物調査報告」を書く。そして、小栗は、遺跡の調査報告を書くとき、その遺跡が存在する地元の言い伝えを必ず、調査報告の中に登場させたのであった。

 昭和3年(1928年)1月の晴れた日が続いた朝、47歳になる愛知県史跡名勝天然記念物調査会主事の小栗鉄次郎は、大山廃寺遺跡のある地元の人々の案内で、児神社裏から、地元の人々が、古くから「あぶらしぼり」と呼んでいる山の中を登っていた。着物と草履という姿をした地元の人々の一番後ろに、茶色いスーツに白いシャツを着て、黒い細いネクタイを締め、黒い革靴を履いた小栗鉄次郎がついていく。地元の人々の話によれば、この「あぶらしぼり」を登りきった山の尾根のあたりは、古瓦が出土することで、かなり以前から有名だとのことだった。

 「あぶらしぼり」の山の中は、うっそうと雑木が生い茂り、木漏れ日はあるが、昼間でも薄暗い静かな所であった。雪は降っていないが、寒い。靴に踏まれた乾燥した枯れ葉がかさかさと鳴り、あたり一面に響き渡っていた。しかし、「あぶらしぼり」の山道を登っていると、すぐに、鉄次郎の体は、ぽかぽかと暖かくなった。そして、鉄次郎は、「あぶらしぼり」を登りながら、自分が履いている靴の下にある土の中に、何か違和感があるのを感じていた。

 「さっきから・・・。これは、きっと、この「あぶらしぼり」の土の下には、何か遺構が眠っているに違いない。ここだけではない。江岩寺から女坂を登ってくる途中にも、人間が鋤いたような平坦地が無数にある。ここに来るのは、今日で3度目だが、ここに来れば来た分だけ、新しい遺構を確認できる。しかし、これから村人が連れて行ってくれる所は、それらの比ではないくらい、おびただしい量の古瓦が埋まっているらしい。どんな所なんだろう。」

 鉄次郎がこのように考えながら登っていると、隣にいた地元の人々が、突然、鉄次郎に声をかけた。

 「ああ、もうすぐ、着きますよ。」

 「あぶらしぼり」を5分ほど登ると、鉄次郎たちは、今までのうっそうとした雑木の森の中から、明るい平坦地に出た。「明るい」といっても、「あぶらしぼり」よりは、明るい感じがするというだけで、平坦地のあたりは、柏や桧や松などの大木と共に雑木が生い茂った場所だった。

 「ここは、昔、五重塔が建っていたと言い伝えられている所です。」

 地元の人は、こう、鉄次郎に説明した。

 この平坦地に着いてから、鉄次郎は、持ってきたスコップで、足元の平坦地の地面を少し掘ってみた。すると、瓦の破片が、いくつも、小さいスコップの中に収まるのだった。愛知県史跡名勝天然記念物調査会主事の小栗鉄次郎には、この平坦地の下に何か透けて見える物があるような感じがあった。鉄次郎の調査会主事としての技術は、遺跡のある地元の言い伝えや歴史を徹底的に調べることと、現地を訪れてみて、「ここには、きっと、何かある。」と感じる勘であった。

 「これは。よし、今度の大山寺跡の調査は、このあたりを重点的に掘ろう。」

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