「つまり、明治政府の林様の話は、空になった古墳をいつまでもそのままにしておくより、他の用途に使った方がいいのではないかということだと思います。明治政府の林様は、江戸時代(17世紀から19世紀)に神君として人々の心のよりどころになった徳川家康に代わる神様が必要だと言う。明治政府がこれからの時代に新しくたてる、人々の心のよりどころとなる神様は、苗田山にかつて葬られていた人とは違う。
天武天皇(7世紀後半の天皇)の子孫たちは、天武天皇(7世紀後半)の遺志を守り、徐々に、苗田山の中の遺体(骨)を大山の他の場所に移動させ、室町時代(15世紀前半頃)までには、苗田山の中にある遺体(骨)は、大山の中にある他の古墳に全て移された。そして、薄葬礼が出されてから40年後に死んだ天武天皇(7世紀後半の天皇)以降、大山の中に古墳が造られることはなかった。
それでは、苗田山の頂上に行きましょうか。」
江岩寺の中村住職と稲垣と青木と石川は、苗田山頂上に立った。苗田山頂上から西側を眺めると、眼下に小牧山が見える。そして、小牧山の手前、苗田山のすぐ隣にも、苗田山と同じような小山が見える。
「苗田山の隣、小牧山の手前にあるあの山を前山といいます。苗田山から小牧山を見たときに、苗田山の前にあるから前山といいます。前山は、苗田山より古い古墳でしたが、今は、前山の中身も空っぽで、前山の中身は、全て、大山の中にある他の古墳に移されています。ここから見て、前山の左側(南側)半分くらいの場所を使って、新しく大山窯という窯を作ります。苗田山のこの場所(苗田山頂上)から土をとって、前山に造られる大山窯に運び、大山窯で焼き物を作って、大山窯の前を通る内津道を使って、名古屋城にある陸軍に焼き物を納品する、と、明治政府の林様が言っていました。」
「これで、アルバイト生活から脱することができるなら、明治政府の林の言うことに従うか。」
青木はこう言って、苗田山頂上にある土を蹴った。すると、江岩寺の中村住職は、次のように言った。
「1週間後に、大山窯の工事を行うため、明治政府の林様がこちらにお越しになります。」