昼になって、青木と石川は、苗田山中腹にある木陰でおにぎりをほおばった。青木と石川は、苗田山で土取りの仕事をするたびに、江岩寺の中村住職の奥さんのふねさんを手伝う倉田トメさんにお金を渡して、おにぎり3個ずつとお茶を作ってもらっていた。今日のおにぎりは、塩むすび、鮭むすび、とろろ昆布を巻いたおむすびの3個だ。
「トメさんの塩加減が絶妙にいいな。」
石川がそう言うと、青木は、うんうんとうなずいた。石川は続けてこう言った。
「ところで、苗田山頂上の土を取り始めて、3か月たった。苗田山頂上の土を取り始めてわかったことだが、古墳というのは、ただ、人の墓があるだけではないな。苗田山の山の中は、熊や狐など動物の形になるよう加工した石が置かれていたり、十字架の形をした石の前に聖堂のような場所があるなど、公園のような場所だ。古代(3世紀から6世紀)に生きた人々は、自分たちのリーダーが死んだら、リーダーの遺体を埋めるとともに、リーダーをしのんで、人々が集う公園のような場所を造ったのだ。そして、大山の山の中には、公園が無数にある。こんなに公園はいらない、と、大化の改新(645年)後に薄葬令を作った人々は思ったのだろうな。でも、古墳の中にある遺体(骨)を他の場所に移動させたから、もう古墳は必要ないという明治政府の林様の意見はどうなんだろう、と俺は思うんだ。例えば、この苗田山は、キリスト教色が強い古墳だ。苗田山に葬られた人は、キリスト教徒かな。」
「そうだろう。そう思うだろう。俺も君の意見には賛成だ。」
突然、右側横から太い声がした。青木と石川が右横に振り向くと、木の陰から、太った40代ほどの男と19歳くらいの少年が、青木と石川の方をのぞき込んでいた。そして、太った40代ほどの男と19歳くらいの少年は、木の陰から、青木と石川が座っている前に回り込んで、青木と石川を見た。
「ああ、君は僕たちが初めて苗田山に来た時に苗田山の南麓にいた少年か。ねえ、君、君が苗田山で小さいときにやった「おこもり」とは、何のことなの?」
青木が少年にこう尋ねると、少年はこう答えた。
「おこもりは、苗田山と前山でもやったよ。僕がまだ小さかったころにやったおこもりは、12月31日から1月1日の朝にかけて、苗田山や前山の中で行われる。苗田山や前山の中で、地面を平らにならし、竹や細木で骨組みを作る。作った骨組みに家から持ってきたむしろを縄で取り付けて、宿を作る。そして、夜に備えて、薪を切る。苗田山や前山の近くの家へ行って、自分たちで食事を作り、食事が終わると、苗田山や前山の中に作った宿にこもる。夜になると、皆が集まってきて、太鼓が一晩中たたかれる。」
「へえ。」
青木と石川は、少年の話を興味深く聞いた。少年は、続けて、こう話した。
「今は、僕は、おこもりはやってない。いろいろな場所を先生たちと一緒に点々と移動しててね。ここにいつもいるというわけではないんだ。この先生は、西郷先生といって、僕の運動の先生で、僕に、馬の乗り方や体の動かし方を教えてくれる先生だ。もう一人、大久保先生という先生がいるけど、今日は、一緒にいない。大久保先生は、僕に、読み書きそろばんなどの学問を教えてくれる先生だ。」
「古墳を崩して、産業のために使う、という方針は、明治政府の中でも意見が割れているんだ。」
少年の隣にいる太った40代ほどの男はこう言った。
「俺は、古墳を崩して、産業のために使うという方針には反対だ。内需を拡大して、国の文化財を壊してまでも豊かになろうなんて、日本人として、どうなんだ。それより、隣国の韓国や中国に目を向けてみろ。韓国や中国には、資源が豊富にある。」
少年の隣にいる太った40代くらいの男は、青木や石川に訴えかけた。「こいつは征韓論者か。」と青木は心の中でそう思いながら、少年の隣にいる太った男の話を聞いていた。そして、青木はこう言った。
「そろそろ、仕事に戻らないと。僕たちは早くアルバイト生活から抜け出したいんです。」
青木が少年の隣にいる太った40代ほどの男にこういうと、太った40代ほどの男は、青木にこう尋ねた。
「大久佐八幡宮という神社を知っているか?」
「ああ、南の大草村にある神社ですね。俺はその神社の場所を知っていますよ。」
今度は石川がこう答えた。すると、太った40代ほどの男は、青木と石川に向かって、こう言った。
「俺たちは明日まで、大久佐八幡宮の隣にある波多野さんの家に居候している。あさっては、東京に行く。明日、大草村の大久佐八幡宮の隣にある波多野さんの家に来てくれたら、君たちが持っている瑠璃色の腕輪の話が聞けるかもしれないよ。もし、来る気があるなら、なるべく朝早く来てくれ。大草村の大久佐八幡宮の隣にある波多野さんの家の門には、十六菊花紋の瓦があるから、すぐにわかるさ。」