八 近衛天皇勅願の儀

 雲玄たち比叡山の僧侶たちが大山寺で暮らし始めてから、半年が過ぎようとしていた。今年もまた、台風の季節がめぐってきていた。こちらで雨が降るたびに、雲玄は、天台座主行玄が大山寺へ出発する雲玄に向かって話したことが思い出された。天台座主行玄は、こう言っていた。

 「東大寺や西大寺の勧進僧たちが、勧進活動の一環として、河川の改修事業に取り組んでいることは私も知っている。しかし、河川の改修というのは、本当にいいことなのだろうか?

 確かに、河川が決壊して洪水が起き、たくさんの家が流され、たくさんの犠牲者が出ているという事実はある。しかし、人間の力で、川を掘り返したり、土砂を川に流して川をせき止めたり、土を掘り返して池を作ったりしたら、その川の環境は、人間によって変えられてしまう。人間が洪水から身を守る代わりに、たくさんの生き物が死んでいくのだよ。その川で獲れる魚を売って生計をたてている漁師の人たちはどうなる?

 自然の力は偉大だ。人間は自然にはかなわない。自然に逆らおうとすれば、いつか、人間は自然から仕返しを食らうだろう。人間は、自然とともに、自然とうまく付き合って生きていくのが道というものだと私は考えるのだ。

 結局のところ、私たちには、洪水が起きないように祈ることしかできないのではないだろうか?だから、私は、祈るということに自分の全ての魂をぶつけているのだよ。そして、鳥羽上皇様も美福門院様も近衛天皇もそんな私の祈りの心をわかって、私たちを宮中のトップの座においているのではないのか?

 そんな私の祈りの姿勢を批判する玄法上人らは、どうかと思うのだが、君はどう思う?玄法上人の私に対する批判は、鳥羽上皇様や美福門院様や近衛天皇が私に抱いているイメージを穢すことにもなるのだよ。」

 この半年間、比叡山の雲玄たちは、洪水にあった大山川流域の人たちを見てきた。大山川流域の人たちは、家を流され、肉親を奪われても、明るく、強く生きていた。大山川が決壊しても、洪水の被害を免れた篠岡丘陵の窯元からは、いつも、器を焼く煙がたなびいていた。しかし、雲玄には、この地域の人たちに、天台座主行玄が言っていたことを伝える勇気はなかった。

 雲玄たち比叡山から来た僧侶は、この半年間、交代で、比叡山と大山寺の間を何度往復したことだろう。大山寺の僧兵組織と地元の情報を天台座主に伝えるために、大山寺と比叡山の間を1週間かけて歩き、比叡山の現在の情報と大山寺の地元に配る物資を持って、1週間かけて、比叡山から大山寺に戻る。

 「今日は、そろそろ、比叡山からの僧侶が大山寺に到着する日だ。一体、どんな情報と物資を持ってくるのだろう。そろそろ、大雨から避難する人たちが大山寺にやってくるかもしれないから、その人たちの衣服や食料が届くかもしれない。そして、私たちが一番ほしいのは、都と比叡山の情報だ。」

 雲玄たち比叡山の僧侶がうきうきして待っていると、比叡山から戻ってきた僧侶が大山寺の門をたたいた。

 「ご苦労さま、お疲れさま。」

 そう言って、大山寺にいた雲玄たち比叡山の僧侶は、比叡山から大山寺に戻ってきた僧侶を暖かく迎えた。

 「この衣服と食料は、玄法上人に渡そう。ところで、最近の比叡山と都の様子はどうなっているのだ?」

 雲玄が比叡山から戻ってきた僧侶に聞くと、比叡山から戻ってきた僧侶は、こう答えた。

 「そろそろ、大雨が降る季節に入っただろう?昨年は、地方の様々な場所で洪水が起こったことを都でも気にかけている。それで、今年は、朝廷でも、洪水が起きないようにお祈りを捧げることになったのだよ。

 近衛天皇自らが、諸国で洪水が起きないように、御所で祈願をすることになったそうだよ。行玄大僧正のように効き目があるかどうかは、わからないがね。

 でも、行玄大僧正が近衛天皇の後ろについて、一緒にお祈りするそうだから、効き目はあるかも。行玄大僧正は、近衛天皇の護持僧だからね。」

 雲玄は、比叡山から戻ってきた僧侶が持ってきた衣服と食料を渡すために、玄法上人に面会を申し出た。玄法上人に会った雲玄は、玄法上人に、比叡山から戻ってきた僧侶が持ってきた衣服と食料を渡しながら、都の情報も伝えた。

 「そろそろ、また、諸国に洪水が起こる時期になってきましたね。昨年の洪水の被害のことを思い起こして、都の朝廷では、今年は、天皇自らが、洪水が起きないように祈願する儀式を行うそうです。そして、その場には、近衛天皇の護持僧である行玄大僧正も出席するらしいですよ。」

 この話を聞いて、玄法上人は、雲玄にこう反論した。

 「昨年の洪水の被害を聞いて、どうして、朝廷は、大山川の改修をやってくれないのですか。大山川の改修は、地元の人々の要望でもあるのですよ。」

 玄法上人のこのような反論に対して、比叡山の僧侶である雲玄は、玄法上人にこう伝えた。

 「実は、比叡山の行玄大僧正は、河川の改修事業について、それほどいいことであるとは思われていないのです。河川の改修をすることで、人間が洪水の被害に遭う確率は低くなりますが、その代わりに、多くの生き物が死に、人間が自然という環境を変えてしまうことになるのです。それよりは、人間が篠岡丘陵のような高台に住み、洪水の被害に遭わないようにすることが、人間が自然とうまく付き合っていくことになるのではないかというのが行玄大僧正の意見なのです。」

 玄法上人は、雲玄の言ったこのことについて、再び反論した。

 「篠岡丘陵には、たくさんの窯があって、人間の住む所は、これっぽっちも存在しません。だから、行玄大僧正の意見は現実的ではない。洪水による被害を防ぐために、人間が篠岡丘陵の様な高台にしか住んではいけないのであれば、野口や林や池ノ内や大草に住んでいる人々は、全員、別の場所に移動して、住居を構えなければなりません。」

 玄法上人率いる大山寺側の意見と、行玄大僧正率いる比叡山側の意見は、このようにして、平行線をたどったまま、いっこうに交わる気配は見当たらなかった。そして、比叡山の行玄大僧正は、昨年諸国に起こった洪水が再び起きないように祈る、近衛天皇勅願の儀に出席するため、急きょ、大山寺に派遣した雲玄たち比叡山の僧侶を呼び戻すことにした。そして、比叡山に帰る雲玄たちを前にして、玄法上人はこう言ったのだった。

 「今まで、私たちに様々な物資を送っていただき、たくさんの智恵を授けてくださり、ありがとうございました。

 しかし、行玄大僧正に一言言いたい。お祈りによって洪水を防ぐことなんてできません。私は、来年4月に比叡山で行われる「御衣加持御修法」の帰りに都へ行き、そのことを朝廷に直訴しようと思っています。

 行玄大僧正のお祈りによって雨がやんだのは、全くの偶然です。この地域の人たちを洪水から守る現実的な方法は、大山川を改修することです。」

上へ戻る