八 権力闘争

 「史跡名勝天然記念物保存法とか言って、結局、遺跡を保護していくための人と金は県が負担するんだ。それに、なぜ、潰れた寺を保護しなければならないんだ?潰れた寺を保護して、私たちの生活は楽になるのか?潰れた寺を保護して収益が上がれば、そのお金は、愛知県のものになるが、どのようにしたら、潰れた寺から儲けが出るのか、その方法がわからない。

 大体、私たちは、どうして、あいつらの懐古趣味のために税金を使わなければならないんだ?ところで、この間申請した道路建設の費用は、下りるんだろうな?」

 昭和3年(1928年)のある初夏の日、愛知県庁の中の小さな会議室で、同じようなグレーのスーツを着て、白いシャツに同じような紺のネクタイを締め、黒い革靴を履いた二人の男が並んで座っていた。54歳になる愛知県庁内政部長の山田光太郎と、48歳になる愛知県庁地方課長の田中軍次である。愛知県庁内政部長の山田光太郎が発した小さな声に、愛知県庁地方課長の田中軍次もうなずきながらこう答えた。

 「愛知県の中には、道路が通っていなくて、毎日、一日がかりで山を下りて、買い物に行かなければならないようなところが、まだまだたくさんあります。潰れた寺を保護するよりも、そっちの方が優先事項ではないのですか?」

 小さな会議室の中は、山田と田中の不満の声が充満していた。そして、山田は、田中にこう質問した。

 「おい、ところで、遺跡を国の史跡とする決定の過程がどのようなものなのか、調べてきてくれたか?」

 すると、田中は、答えた。

 「この間、知事から話があった日から、さっそく、調べてみましたが、遺跡を国の史跡として残すかどうかは、東京の文部省にある史跡名勝天然記念物調査会という所で審議をして、決定されます。つまり、文部省の史跡名勝天然記念物調査会では、愛知県の史跡名勝天然記念物調査会調査主事らの書いた報告書と、文部省の史跡名勝天然記念物調査会考査員による現場の視察に基づいて、文部省の史跡名勝天然記念物調査会審議員が審議をして、国の史跡として保護するかどうかを決定する。

 ところで、私が得た情報によると、文部省の史跡名勝天然記念物調査会の中に、大山寺跡などの古代遺跡の審議を専門に担当している審議員が、今は、いないそうです。それで、古代遺跡の現場の視察や調査を行っている考査員の柴田常恵という名の大学の考古学の先生が、実質、審議員も兼ねているという話です。」

 「なるほど。柴田常恵か。」

 山田と田中は、しばらく、考え込んだ。そして、愛知県庁内政部長の山田光太郎が、突然立ち上がり、会議室にかけられていた桜の絵を眺めながら、こう言った。

 「大山寺跡を国の指定史跡にするのはいいが、余りに指定範囲が大きすぎると、我々の仕事の予算配分に影響がでかねない。文部省の史跡名勝天然記念物調査会考査員の柴田常恵先生に一度会いに行って、我々の気持ちを先生に伝えよう。田中地方課長もスケジュールを調整して、俺と一緒に東京の柴田先生に会いに行こうよ。」

 「わかりました。」

 と、田中は山田に答えた。山田はさらに田中にこう質問した。

 「ところで、愛知県史跡名勝天然記念物調査会調査主事の小栗鉄次郎が書いた「大山寺跡」の報告書は、今、どこにあるんだろう?」

 「我々の手元にあるもの以外は、柴田先生が持っているのではないでしょうか。」

 田中がこう答えると、山田は田中にこう提案した。

 「我々が柴田先生に会いに行く目的は、大山寺跡の国の史跡指定の範囲を小さくしてもらえるようにお願いすることだ。今から、ここにある愛知県史跡名勝天然記念物調査会調査主事の小栗鉄次郎が書いた「大山寺跡」の報告書を使って、大山寺跡の国の指定史跡範囲に対する我々の意見を表現しよう。」

 そして、山田と田中は、初夏の夕日が差し込む会議室の中で、汗を拭きながら、小栗鉄次郎の書いた「大山寺跡」の報告書をばらばらにして、切ったり、張ったりし、自分たちの意見に近い形の「大山寺跡」の報告書を作り上げた。二人が報告書を作成している間に、いつのまにか日は沈み、あたりは真っ暗になった。二人は、会議室にある白熱灯のあかりをつけて、報告書の作成に没頭した。二人は、情熱を持って、小栗鉄次郎の書いた「大山寺跡」の報告書を一日で改ざんしたのだった。

 昭和3年(1928年)の夏、愛知県庁内政部長の山田光太郎と愛知県庁地方課長の田中軍次は、名古屋駅から特別急行列車に乗り、8時間かけて東京駅に着いた。朝9時に名古屋駅を出発して、東京駅に着いたのは、夕方5時だった。仕事で東京に出張するので、当然、二人の服装は、同じようなグレーのスーツと白いシャツ、同じような紺のネクタイに黒い革靴であった。

 夏の時期に8時間SLに乗っていると、車内は扇風機がまわっていても、蒸し暑い。二人とも、東京に着いたころには、ぐったりで、ネクタイも緩み、スーツもよれよれの状態だった。しかし、東京出張の時は、毎回こうなので、慣れるしかなかった。山田も田中も、このような思いをしてまでも、東京の文部省に行かなければならない切実なものがあったのだった。田中は、自分たちが作った「大山寺跡」の報告書を手に持ち、山田の後について、文部省の史跡名勝天然記念物調査会考査員柴田常恵の部屋を訪れた。柴田は、勤務時間外だったが、文部省の建物の自分の部屋の中で、愛知県職員の山田と田中を待っていた。

 文部省職員たちが帰宅した後の文部省の建物の中は、夕日に照らされて、静まり返っていた。そんな中、ぐったりした様子の山田と田中が柴田の部屋に入ってきた。その日の柴田の服装は、白い長袖のシャツに濃い青色のネクタイを締め、水色のズボンと紺色の革靴をはいていたが、よれよれのスーツと緩んだネクタイ姿の山田と田中を見て、柴田は、本当に気の毒な思いがした。山田と田中は、柴田と向かい合って座ると、自分たちの自己紹介をした後、さっそく、山田の方から、柴田に話しかけた。

 「ところで、篠岡村(現在の愛知県小牧市)にある大山寺と言う廃寺跡を国の指定史跡にするという件で、先生に、ぜひ、お伝えしたいことがあります。愛知県史跡名勝天然記念物調査会調査主事の小栗の方から、我々の県知事の方に、大山寺を一山まるごと国の史跡としたいので、指定願を申請してほしい、という説明があったようです。それで、県知事の方から、大山寺跡がある山全体を国の指定史跡として、申請してもいいのか、我々に打診してきたものですから、我々としても、大山寺跡を国の史跡とすることに関して、意見がある、ということで、先生のもとに参りました。

 大山寺跡を国の史跡に指定するのは国ですが、その遺跡を守って行く人と費用は、県が負担するということになるんですよね。そして、守るべき遺跡の大きさが大きければ大きいほど、県の負担は、増えていくわけなんです。

 現在の愛知県は、東京のように発展していませんし、お金も持っていません。愛知県の中には、道路が通っていなくて、毎日、一日がかりで山を下りて、買い物に行かなければならないようなところが、まだまだたくさんある。でも、県に入ってくるお財布は一つなんです。そういうへき地に道路を建設する予算を削って、大山寺のある山をまるごと史跡として、守って行く費用を捻出しなければなりません。

 そもそも、大山寺のある山を史跡としてまるごと守ることは、儲かることなんでしょうか?もし、儲かることなら、どうやったら、儲かるんでしょうか?その方法論が私たち県職員の頭の中には、描けないんです。大体、大山寺のある山は、現在、まるごと、「風致保安林」(名所や旧跡、趣のある景色などを維持・保存するため、伐採や土地の転用の変更などをできるだけ制限し、適切に手を加えることによって、期待される森林の働きを維持しようとするもので、農林水産大臣または都道府県知事によって指定され、免税や補助金・融資等の優遇措置が取られている。)に指定されています。その上で、国の史跡にも指定するということは、行政による二度手間になるのではありませんか?」

 山田がこのように話すと、続けて、田中が、柴田にこう話しかけた。

 「私たちは、愛知県史跡名勝天然記念物調査会調査主事の小栗鉄次郎が書いた「大山寺跡」の報告書を読ませてもらいましたよ。確かに、発見された17個の塔礎石群は、私たちが見ても感動するものがあり、こういう遺跡を保護して、観光客が増えれば、愛知県にとっても、メリットはあるでしょう。

 しかし、その他の場所はどうなんでしょう?ただ、岩がごろごろしているだけで、これを遺跡と言われても、なんだか、ピンときません。地元に伝わる大山寺の言い伝えも本当にあったことなのか、わかりませんしね。ですから、私たちとしては、大山寺跡の国の史跡指定範囲は、発見された17個の塔礎石群のまわりだけでいいと考えているのです。

 これは、愛知県史跡名勝天然記念物調査会調査主事の小栗鉄次郎が書いた「大山寺跡」の報告書に手を加えて、我々が作った報告書です。私たちが「大山寺跡」の報告書を作るとしたら、このように作ります。」

 そして、田中は、小栗鉄次郎の書いた「大山寺跡」の報告書をばらばらにして、切ったり、張ったりして、山田と共に作り上げた、自分たちの意見に近い形の「大山寺跡」の報告書を柴田に手渡した。柴田は、山田と田中が作り上げたその報告書に目を通した。地図や図を含めて30ページほどあった小栗鉄次郎の「大山寺跡」の調査報告書は、山田と田中の手によって、大部分が削られていて、児神社の現状と発見された17個の塔礎石群についての記述と江岩寺が有している仏像などの記述、大山寺の短い由来伝説の箇所だけが残された、9ページほどの調査報告書となっていた。そして、山田と田中が作り上げた報告書には、「塔跡以外の遺跡については、寺跡と思われる平坦地が数多くあるので、多くの堂や僧坊があったことは想像できるが、大山寺の伝説が伝える大きな本堂は、その当時を想像して書いたものであろう。」という文章が最後の方に挿入されていた。また、その報告書は、「保存については、特に、塔礎石跡について速やかにその筋の指定を得て、永久に保存すべき重要な史跡であると信ずるものである。」という文章で締めくくられていた。

 文部省の史跡名勝天然記念物調査会考査員柴田常恵は、自分の部屋を訪れてきた愛知県庁内政部長の山田光太郎と愛知県庁地方課長の田中軍次の話を静かに聞いていた。そして、愛知県史跡名勝天然記念物調査会調査主事の小栗鉄次郎が書いた「大山寺跡」の報告書をばらばらにして、切ったり、張ったりして作り上げた、山田と田中の「大山寺跡」の報告書を読んで、怒ることもなく、黙って、座っていた。

 「本当に、黒板博士の言う通りになったな。まだまだ、私たちの国は発展途上にあり、人々の意識は、文化よりも生活優先なのだろう。それほど、私たちの生活には余裕がないのだ。しかし、そうやって、文化を遠ざけていけばいくほど、生活に余裕がなくなることをこの者たちに知らせるためには、どうしたらいいのだろう。私は、まだまだ、だめだな。私が今、何を主張しても、この者たちは、自分たちの思い通りに事を運んで行くのだろうな。」

 文部省の史跡名勝天然記念物調査会考査員柴田常恵は、心の中ではこうつぶやきながら、愛知県庁内政部長の山田光太郎と愛知県庁地方課長の田中軍次にこう答えた。

 「でも、あなた方は、発見された17個の塔礎石群の重要性については気がついた。それこそ、私たちにとっては、重要なことなのです。
 お二人ともご存じの通り、今の日本は、失業者が街にあふれ、政府は、治安維持法の改正によって「特別高等警察」という組織を政府内に作って、社会運動の取り締まりを強化している。このような環境とは明らかに一線を画している、大山寺跡の17個の塔礎石群を保護しようというお二人のその気持ちこそ、私たちは、大切にしたい。私たちが大山寺跡のある山全体を国の指定史跡として保護すると主張しても、今の世の中の人々は、恐らく、私たちの主張を無視するか、全く無関心でいるのでしょう。その中で、保護するのは、発見された17個の塔礎石群だけでいいと私たちにボールを返してくるお二人は、私たちにとっても、貴重な存在です。

 今回、お二人が主張された大山寺跡の国の史跡指定範囲については、再考して、再度、愛知県史跡名勝天然記念物調査会調査主事の小栗鉄次郎を通して、お知らせいたします。私としては、何としても、知事に、指定願の申請書を書いてもらわなければなりませんので。」

 愛知県庁内政部長の山田光太郎と愛知県庁地方課長の田中軍次が翌朝名古屋に帰った後、文部省の史跡名勝天然記念物調査会考査員柴田常恵は、愛知県史跡名勝天然記念物調査会調査主事の小栗鉄次郎を東京に呼び出した。8時間かけて、名古屋から東京に出てきて、片手に紺色のスーツの上着を持ち、白い長袖のシャツに結んだ、薄い青色に水玉のネクタイを緩ませて、汗まみれの紺のズボンと黒い革靴と共に、疲れた様子を見せている小栗の姿を見て、柴田は小栗をねぎらった。柴田は、白い薄手の長袖のシャツに、紺色のネクタイを締め、薄い紺色のズボンに黒い革靴といった服装で、文部省の自分の部屋の中に小栗を入れた。愛知県庁内政部長の山田光太郎と愛知県庁地方課長の田中軍次が柴田の部屋を訪れたときと同様に、夕日が差した文部省の建物の中は、静かだった。そして、柴田は、愛知県庁内政部長の山田光太郎と愛知県庁地方課長の田中軍次が、小栗鉄次郎の書いた「大山寺跡」の報告書をばらばらにして、切ったり、張ったりして作り上げた、自分たちの意見に近い形の「大山寺跡」の報告書を小栗に見せて、こう言った。

 「先日、愛知県庁内政部長の山田光太郎さんと愛知県庁地方課長の田中軍次さんが私のこの部屋を訪れてきて、この報告書を私に渡し、大山寺跡の国の史跡指定の範囲は、発見された17個の塔礎石群のまわりだけでいいと意見していった。もちろん、私は、小栗さんと同様に、国の史跡に指定するのは、大山寺跡のある山全体とする、という意見だ。愛知県庁の者たちは、大山寺のある山の中全体は、全て、「風致保安林」(名所や旧跡、趣のある景色などを維持・保存するため、伐採や土地の転用の変更などをできるだけ制限し、適切に手を加えることによって、期待される森林の働きを維持しようとするもので、農林水産大臣または都道府県知事によって指定され、免税や補助金・融資等の優遇措置が取られている。)に指定されているので、この上に国の史跡に指定することは、行政の二度手間になるのではないか、と言う。

 しかし、「なぜ、この山を保護するのか?」という目的が、「風致保安林」と「国の指定史跡」とでは、全く違う。「風致保安林」とは、林そのものを維持・保存することが目的であり、「国の指定史跡」とは、歴史上、学術上価値が高いと認められる遺跡を保護することが目的である。だから、維持・保存することが望ましい林の中に歴史上・学術上価値の高い遺跡があったなら、本来、「風致保安林」と「国の指定史跡」とが共存すべきなのだ。」

 柴田がこう言うと、小栗は、「本当に愛知県職員の無理解さには、驚かされますねえ。」とつぶやいた。柴田は続けてこう言った。

 「ところで、今の日本は、金融恐慌が起こって、銀行や企業の倒産が相次ぎ、巨大財閥は政党と結びついて、汚職事件が頻発しています。そして、労働者による階級的な闘争は激化し、政府は、社会運動の弾圧を強化しようとして、治安維持法を改正して、社会運動を取り締まる「特別高等警察」という組織を作りました。一方で、軍部の急進派は、中国に積極的に干渉するようになっています。

 私たちは、皆、余りにも必死になって、生きなければならない。今の世の中の多くの人々は、生きていくことで手いっぱいで、歴史や文化に全く目が向いていないようだ。そして、多くの人々は、歴史や文化に無関心になればなるほど、自分の首を絞めて行っていることに気が付いていない。私たちは、そのような多くの人々に、この現状を知らせなければならない、と思いませんか?歴史や文化に触れることで、自分たちの生活に余裕を持たせることが、生活が楽になることにつながることを、生活に余裕のない人々に知らせるために、私たちは働いているのではありませんか?」

 「確かに、今の時代の流れは、私たちの仕事のことなど無視して、一つの方向にどんどん流れて行っているような気はする。でも、だからこそ、私たちは、ここで、ふんばって、時代に流されないようにしなければならないのではないのですか?」

 小栗は、柴田に向かって、やはり、大山寺跡の国の史跡指定範囲は、山全体とするべきだと主張した。しかし、柴田は、小栗に向かって、首を振って、このように言うのであった。

 「私たちは、今の世の中の流れの中で、大山寺跡の国の史跡指定の範囲は、小栗さんが発見した17個の塔礎石群のまわりだけにするという苦渋の選択をしなければならない。それが、今の史跡名勝天然記念物調査会が多くの人々に現状を知らせる唯一の方法である。とにかく、愛知県知事には、大山寺跡の国の史跡指定願を申請してもらわなければなりません。史跡名勝天然記念物調査会の活動は、そこからスタートするのです。」

 日が沈んだ部屋の中で、柴田は、部屋にぶらさがっていた白熱球をつけた。今まで眺めていた窓の外の夕暮れの景色は消え、部屋の中が、突然明るくなった。そして、柴田は、続けてこう言った。

 「大山寺跡のある山全体が、愛知県の風致保安林に指定されているのならば、少なくとも、遺跡が破壊されることはありません。まず、歴史や文化に興味を持つことが生活のゆとりを生むということを多くの人々に知らせなければなりません。しかし、史跡名勝天然記念物調査会の活動は、ここで終わるわけではありません。大山寺跡の国の史跡指定範囲を将来的には山全体とするために、私たちは、これから、様々な障害を乗り越えていくことになるでしょう。そして、私たちが死んだ後も史跡名勝天然記念物調査会の活動が続くようにしなければなりません。」

 小栗は、椅子に座りこんで、うつむいたまま、黙って、柴田の言うことを聞いた。小栗にとって、名古屋から8時間かけて東京にたどり着いた割には、柴田の決断は、余りにも、苛酷であった。

 「そして、小栗さんが書いたこの30枚の「大山寺跡」の報告書ですが、愛知県知事が大山寺跡の国の史跡指定願いを申請することが決まったら、報告書は愛知県史跡名勝天然記念物調査会の方にお返しします。そして、大山寺跡の国の指定史跡範囲が、小栗さんが発見した17個の塔礎石群のまわりだけに決まったら、小栗さんが書いたこの30枚の「大山寺跡」の報告書は破棄して、愛知県職員があなたの書いた報告書を切り張りして作った9ページの報告書とすり替えてください。」

 小栗は、椅子に座って、うつむいたまま、小さな声で、「わかりました。」と言った。柴田は、続けて、小栗にこう言った。

 「しかし、小栗さんら愛知県史跡名勝天然記念物調査会の方々には、忘れないでいただきたい。このことは、大山寺跡の国の指定史跡範囲を、将来的には山全体とするためのステップであるということを。そして、これから、大山寺跡の国の指定史跡範囲を山全体とするために、愛知県史跡名勝天然記念物調査会の活動が始まるということを。」

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