九 神隠し

 陶磁職人の稲垣銀次郎が、試作品を作るために工房に帰って行った後、残された青木平蔵と石川喜兵衛に向かって、江岩寺の中村住職はこう言った。

 「この鉄穴流しに沿って、上の方まで登ってみましょうか。」

 そして、中村住職は、ダムのような石造物のある場所から、石で囲まれた川のような跡に沿って、歩き始めた。歩く、というよりは、山の斜面を登っていくという感覚だったが、青木と石川も中村住職の後について登って行った。そして、石で囲まれた川のような跡は、ゴロゴロした石が大量に存在する山の斜面で終わっている。雑木がうっそうと生い茂る山の中であることには変わりないが、青木と中村は、石で囲まれた川のような跡を登りきった所にあるゴロゴロした石が大量に存在する山の斜面が、なぜか、切り開かれた明るい場所に感じられた。

 「ここが、鉄鉱石の鉱山だと思うんですけど、ちょっとあれを見てください。」

 こう言って、中村住職は、ゴロゴロした石が大量に存在する山の斜面の隣の斜面の草むらを指差した。

 「草むら、ですよね。」

 青木と石川は、最初のうちはそう言っていたが、だんだん、山の中に目が慣れてくると、草むらの向こうに穴があいているような気がしてくる。青木と石川は、ゆっくりと穴のあいていると思われる方向に進んで行き、思い切って、草むらの中に飛び込んだ。

 そこは、8畳ほどの広さがある1つの空間だった。その空間の高さは、2mほどあった。そして、江岩寺の中村住職がその空間に入ってきて、その空間の中に置かれていた行燈に火を付けた。薄暗かった空間の中に明かりがともると、その空間の奥に一段高い半円形の石の台座が見えた。そして、さらに近付くと、半円形の石の台座の上には、3体の仏像が置かれているのがわかった。蓮華座の上に座った、座高が1m50cmくらいの大きさの仏像の両脇に、1mくらいの高さのある、立ったままの姿で手を合わせた2体の仏像が置かれてある。3体の仏像の顔立ちは、とてもエキゾチックな面持ちであった。

 「この行燈を置いたのは私です。ここには、もう、何回か来ているのです。」

 中村住職は、こう言うと、3体の仏像と向かい合って、座った。そして、続けてこう言った。

 「私が、京都の妙心寺から、江岩寺に派遣されたのは、今から15年くらい前です。私は、京都の妙心寺で仏門に入ってから、妻をめとり、子供も2人生まれていました。そして、子供が10歳位になった時、尾張藩の大山村にある江岩寺で住職をするように上の僧侶から言われて、家族を連れて、京都からここに来たのです。妙心寺の場合、普通は、地方の寺に派遣されると、5年くらいで、すぐ、次の寺に異動になるんですけど、不思議なことに、私は、もう15年も動かずにここにいます。しかし、15年も同じ寺にいたおかげで、少しは、大山廃寺跡の中を探検する余裕ができた。5年くらいでは、大山廃寺跡のことなんて、これっぽっちもわかりません。それほど、この大山廃寺跡は、大きく、謎に包まれた廃寺なのです。」

 そして、中村住職は、持ってきた水筒の水を一口飲んで、話を続けた。青木と石川も中村住職の後ろに並んで座って、話を聞いた。

 「今から10年以上前のことになるでしょうか。江岩寺が大山寺の法灯を継いだという話はもちろん聞いていましたし、寛文8年(1668年)に的叟によって書かれた大山廃寺の言い伝えも読みました。そして、江岩寺の先代の住職から、

 「女坂の西側にある一帯は、昔、僧侶が戦った激戦区で、ゴロゴロした岩のある所は、その時亡くなった僧侶の墓だ。だから、女坂の西側のエリアにはあまり足を踏み入れないように。」

 と言われていたにもかかわらず、私は、興味本位で、女坂の西側にある山の中に入って行ったのです。そして、古道から、ダムのような石造物のある所に下り、石で囲った人工的な川のような跡に沿って、山の斜面を登り、ゴロゴロした岩がたくさん転がっている場所にたどりついたのです。その時、私は、こんな疑問を持ちました。

 「このゴロゴロした岩は、僧侶の墓などではないのではないか?」

 それから、いろいろ文献を調べて、

 「このゴロゴロした岩のある所は、鉄鉱石を産出する鉱山で、石で囲った川のような跡とダムのような石造物は、鉄穴流しなのではないか。」

 という結論に至った訳なんです。児神社の付近で、たくさんの鉄滓や銅滓が見つかることから考えて、児神社付近に製鉄所があったのでしょう。」

 ここまで言うと、中村住職は、青木と石川の方に向き直って、更に話を続けた。

 「ところで、その年のある快晴の秋の日、11月くらいでしたかね、江岩寺で私が本を読んでいると、12歳位になる私の子供の光太郎が私の所に来て、

 「つまらないから、どこかに遊びにつれていってくれ。」

 とごねるのです。

 困った私は、ふと、女坂の西側にあったゴロゴロした岩のある所を思い出し、光太郎と10歳位になる弟の幸次郎を連れて、3人で、ゴロゴロした岩のある所に行くことに決めました。そして、妻のふねが作ったおにぎりと水筒を持って、江岩寺を出て、女坂を5分ほど登り、女坂の西側の山の中に入って、古道に入り、ダムのような石造物のある所に下りて、石で囲った川の跡に沿って山の斜面を登っていき、ゴロゴロした岩のある所にたどりつきました。

 ゴロゴロした岩のある所にたどりつくと、ここが少し切り開かれた明るい場所であることを感じ取った子供たちが、このあたりではしゃいで、鬼ごっこを始めました。その時です。弟の幸次郎が突然、山の斜面の草むらの中に消えてしまいました。私がびっくりして、その場所に近付くと、弟の幸次郎は、草むらから頭を出し、私たちを手招きするのです。

 そして、私と光太郎は、幸次郎の手招きで、この空間に入って行きました。その時、たまたま、火打袋を持ち歩いていた私は、火打袋の中にある火打石で小さいろうそくに火を付けて、あたりを照らしてみました。そして、この空間に3体の仏様があることに気付いたのです。

 その後、私たち3人は、ゴロゴロした岩をよじ登って、山道にたどりつき、山道に沿って、児神社まで登り、児神社から女坂を下って、江岩寺に帰って行きました。

 それから1ヶ月くらいたった頃、光太郎と幸次郎が行方不明になる事件が起こりました。

 妻のふねは、

 「いつのまにか2人がいなくなって、どこを探してもいない。」

 と泣きながら、私に助けを求めに来ました。

 寺にあった行燈が2つなくなっていることに気付いた私は、きっと、2人は、ゴロゴロした岩のある所にあったあの空間に行っているのだと思い、私も行燈を持って、ゴロゴロした岩のある所に向かいました。そして、この空間の中に入って行ったのですが、この空間の中にあるのは、3体の仏像のみで、子供たちの姿は見当たりません。それで、その空間から出て、まわりを探してみたのですが、子供たちの姿を見つけることはできませんでした。

 大山廃寺のある山の中は、午後2時を過ぎると、だんだん、薄暗くなってくるので、これ以上、探しても見つからないと判断した私は、とりあえず、山の中を出て、日が暮れた頃、江岩寺に帰りました。そして、妻には、

 「もしかしたら、子供たちは、突然帰ってくるかもしれないから、明日の朝まで、このまま寺で待っていよう。そして、朝まで待って、子供たちが帰ってこなかったら、村の人たちに助けを求めよう。」

 と言って、その日は、妻も私も眠れない夜を過ごしました。」

 そして、一息ついて、中村住職は、更に続けた。

 「翌日の朝10時頃、江岩寺の玄関に、みすぼらしい着物を着て、白い大きなひげを蓄えた初老の老人が、光太郎と幸次郎を連れて、立っていました。妻は、2人の子供を見て、子供たちの手を取って、泣きじゃくってしまいました。私も子供たちを見たときには涙が出て、しばらく、泣いていましたが、その後、白いひげの老人を寺に招き入れ、妻にお茶とお菓子を持ってくるように頼んで、白いひげの老人と光太郎と幸次郎を部屋に入れて、話を聞きました。

 白いひげの老人は、自分の名前は、一条院孝三だと言いました。その時、私は、初めて、孝三さんと出会いました。青木さんと石川さんを入鹿池の底に生えた白い木の所に連れて行った、あのみすぼらしい恰好をした白いひげの老人のことですよ。」

 この話を聞いて、青木と石川は、驚いた顔で、中村住職を見た。中村住職は、話を続けた。

 「孝三さんは、自分は家族と一緒に旧入鹿村に住んでいるのだと言いました。孝三さんは、犬を連れて、たまたま旧入鹿村の中心にある白い木の根っこの所をぶらぶら散歩していた時に、2人の男の子が、それぞれ、行燈を腕に抱えてうずくまっているのを見て、不審に思い、男の子たちに、

 「大丈夫か、どうして子供だけでここにいるのか、どこからここに来たのか。」

 と問いかけたそうです。光太郎と幸次郎は、自分たちは、大山村の江岩寺に住んでいるということは話しましたが、どこからどのようにしてここに来たのかについては、

 「大山廃寺跡の中を探検していたら、いつの間にかここに来ていた。」

 という趣旨のことを言うだけで、明確な答えが返ってこなかったそうです。それで、孝三さんは、

 「大山村の江岩寺と言う寺のことなら、私も聞いたことがある。そうか、君たちは、江岩寺住職の子供さんか。明日、君たちを江岩寺まで連れて行くから、今日は、このまま私の家で休んで、体力を蓄えておきなさい。」

 と言って、光太郎と幸次郎を家に招き入れ、孝三さんの奥さんの作った食事をふるまって、一晩、家に泊めたそうです。

 翌朝早く、孝三さんは子供たちを起こすと、孝三さんも行燈を持って、子供たちと3人で家を出ました。そして、子供たちを案内して、孝三さんが知っている方の旧入鹿村のトンネルを歩いて、児神社の裏にある、村人たちが本堂が峰と呼ぶ一帯を目指しました。

 孝三さんが知っているトンネルは、旧入鹿村と本堂が峰を結ぶ最短距離のトンネルで、5m四方のとても広いトンネルです。そして、光太郎と幸次郎と孝三さんは、トンネルを抜けて、児神社裏にある本堂が峰に到着し、そこから、南南東方向に延びた古道に沿って歩いて、大山不動に到着しました。そして、大山不動から不動坂を下りて、江岩寺に到着したのです。

 そして、この話を私に話した後、孝三さんは私にこう言いました。

 「どうやら、大山廃寺跡と旧入鹿村の間には、私の知らないトンネルが存在しているようだ。この子たちに、ぜひ、私の知らない方のトンネルのある場所を教えてもらいたいのだけれど、よろしいですかな。今日は、この子供たちと住職と私の4人で、子供たちに案内してもらって、私の家に来ませんか?家では、私の奥さんが食事を作って待っています。そして、一晩、私の家に滞在して、明日の朝、江岩寺に戻ってくるというコースで、住職の奥様にも許可してもらえますかな?」

 そして、私は、妻ふねにそのことを話し、4人分のおにぎりを作ってもらって、

 「明日の朝、子供たちと一緒に家に帰ってくるから。」

 と言って、子供たちと孝三さんと4人で、江岩寺を出発しました。

 子供たちは、先頭に立って、江岩寺を出て、小さな赤い橋を渡り、女坂を5分ほど登ったら、女坂の左側にある山の中に入って、古道にたどり着き、古道を登って、ダムのような石造物のある場所に下りて、そこから石に囲まれた川のようなものの跡に沿って、山の斜面を登っていき、ゴロゴロした岩のある場所にたどり着きました。そして、私たち大人2人を草むらの向こうにあるこの空間に案内したのです。」

 ここまで話すと、中村住職は、突然立ち上がり、空間の奥にある半円形の石の台座に登って、3体の仏像のうち、左側に立っている仏像の合わさった両手をそのまま前に引いた。

 「ギィッ。」

 そのような音を立てて、3体の仏像と中村住職は、半円形の石の台座ごと、隠し扉のように、右側に90度回転した。そして、その空間の奥には、暗い闇が広がっていた。

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