2.東海湖のほとりの姿(このホームページ管理人の見解)

(ペイントで書き込んだ東海三県の地図は、「スーパーマップル東海三県道路地図」(昭文社 2000年7月発行)の見開きのページにある「東海主要部索引図」を使用した。)
このページでは、上の図の中に青い丸や赤い丸で書き込んだ、東海湖のほとりにある、かっぱ伝説や星にまつわる神社・仏閣・構造物などを紹介していきます。
1.東海湖のほとりの姿であるかっぱの横顔首の前の部分からあごにかけて
このホームページ管理人は、東海湖のほとりの姿であるかっぱの横顔首の前の部分からあごにかけての個所が、かっぱ伝説や星にまつわる神社・仏閣・構造物などが最も多く分布していると考えている。(このホームページ管理人が調べた範囲の中では)従って、東海湖の姿であるかっぱの横顔首の前の部分からあごにかけての東海湖のほとりが、東海湖を造ったかっぱたちの首都の1つであったのではないかとこのホームページ管理人は考える。東海湖を造ったかっぱたちの首都は2つあるとこのホームページ管理人は考える。1つは、東海湖の姿であるかっぱの横顔首の前の部分からあごにかけての東海湖のほとりで、もう一つは、かっぱの横顔の首の後ろ部分の東海湖のほとりである愛知県津島市や愛知県弥富市です。
<1-あ>椿神明社(名古屋市中村区則武町2)
<1-い>しおがま神社(名古屋市中川区西日置1)
<1-う>河原神社(愛知県清須市阿原宮東)
<1-え>星神社(名古屋市西区上小田井1-172)
2.かっぱの腕のひじの上
★八幡神社(愛知県瀬戸市鹿乗町)
★愛知県瀬戸市北部地域(愛知県瀬戸市北部を流れる水野川より北側)
3.かっぱの腕のひじの下
(静岡県賀茂郡河津町谷津256(伊豆半島)にあるかっぱの寺栖足寺で、寺に伝わるかっぱの壺は、愛知県瀬戸市祖母懐町で焼かれた古瀬戸祖母懐茶壷である。)
4.かっぱの口元
(多治見市に伝わるかっぱ伝説と多治見市のマスコットキャラクターは、うながっぱ)
5.かっぱの手先
6.かっぱの頭頂部
7.かっぱの後頭部
8.かっぱの横顔首の後ろの部分
このホームページ管理人は、琵琶湖は、東海湖かっぱの子供(赤ちゃん)の姿であると考える。今から約300万年前は、琵琶湖は、東海湖のかっぱの首の後ろ部分から背中にかけての部分に密着していたのではないかとこのホームページ管理人は考える。つまり、東海湖かっぱは、琵琶湖という赤ちゃんかっぱを背負った母親かっぱだったのではないかとこのホームページ管理人は考える。その後、今から約100万年前には、伊吹山地や養老山地や鈴鹿山脈が隆起して、琵琶湖という赤ちゃんかっぱは、東海湖という母親かっぱと引き離された、と、このホームページ管理人は考える。今から約100万年前から隆起し始めた養老山地は、2024年現在になっても、隆起を続けている。
<8-あ>愛知県津島市
<8-い>愛知県弥富市
9.かっぱの背中部分
三重県亀山市にある歴史博物館は、貝細工のかっぱの像を所蔵している。
10.かっぱのわきの部分
11.かっぱの胸の部分
<11-い>宇宙山乾坤院(愛知県知多郡東浦町大字緒川字沙弥田4)
12.かっぱの陰部
<12-い>河和口のかっぱ像(愛知県知多郡美浜町)
13.かっぱのお尻の部分
14.かっぱのアキレス腱の部分
15.かっぱの足先
16.かっぱの頭頂部から日本海に行く道
かっぱの頭頂部から北へ、岐阜県飛騨地方経由で日本海に行く道があるとこのホームページ管理人は考える。今から約300万年前から約100万年前は、地球の気候は寒冷で、日本列島は、大陸とつながっていたという説がある。東海湖のかっぱの頭頂部から岐阜県飛騨地方経由で、日本海に行く道は、中国大陸に行く道だったのではないかとこのホームページ管理人は考える。つまり、東海湖のかっぱは、中国と関係がある。
<16-あ>星宮神社(岐阜県郡上市美並町高砂1252-2)
<16-い>岐阜県飛騨地方にかっぱの恩返し伝説
17.かっぱのアキレス腱から熊野古道を通り、大阪府にある難波の港まで行く道
かっぱのアキレス腱から西へ、瀬戸内海へ行く道があったのではないかとこのホームページ管理人は考える。瀬戸内海の先も中国大陸につながっている。
かっぱ伝説の村(三重県熊野市飛鳥町小阪の平集落)
18.琵琶湖のかっぱ伝説
<18-い>七シコブチ(思子渕)
(滋賀県の琵琶湖と京都の間を流れる安曇川流域にかっぱ伝説のある神社が7社ある。)

