1.平安時代初期〜大久佐八幡宮の誕生〜

大久佐八幡宮参道にある神社の由緒を記した石碑

大久佐八幡宮参道にある神社の由緒を記した石碑である。2011年8月このホームページ管理人撮影。

 篠岡村誌や大久佐八幡宮に伝わる郷社昇格願添付書類、神社名改称願の前文が伝えるところによると、大久佐八幡宮の創建は、清和天皇の時代、貞観13年(871年)、駿河国(現在の静岡県大井川以東)井山の住民である井山八郎が、この地(現在の愛知県小牧市大草)に移住して建てたものである。貞観13年(871年)といえば、平安京では、藤原氏が政治の実権を握った頃である。駿河国井山の井山八郎が大草に移住して大久佐八幡宮を建てた9世紀後半(平安時代中期)、大草近辺の篠岡丘陵地帯にある窯業生産地では、灰釉陶器の生産が始まっていた。灰釉陶器は、平安時代に尾張で開発されたこの地方の特産品で、篠岡丘陵で焼かれた灰釉陶器は、周辺の各地に出荷され、平安京の都でも使われた。そして、篠岡丘陵は、当時の日本の窯業生産の中心地となっていった。

 ところで、大久佐八幡宮の御祭神は、大鷦鷯命(おおさざきのみこと、仁徳天皇)・誉田別命(ほむたわけのみこと、応神天皇=仁徳天皇の父とされる。)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后=応神天皇の母とされる。)である。八幡宮という名の神社は、八幡神を祭神とする神社で、全国には、約44,000社あり、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とする。(「Wikipedea八幡宮」参照)

 八幡神は、清和源氏に代表される全国の武士から武運の神として、崇められてきた。主神を誉田別命(ほむたわけのみこと、応神天皇=仁徳天皇の父とされる。)とし、比売神(アマテラスとスサノオとの誓いで誕生した3人の女神)と息長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后=応神天皇の母とされる。)を加えて、八幡三神として祭っている八幡宮が多いが、そうでない組み合わせ で八幡三神を祭っている八幡宮もある。大鷦鷯命(おおさざきのみこと、仁徳天皇)を祭神としている神社の中には、大鷦鷯命が誉田別命(ほむたわけのみこと、応神天皇=仁徳天皇の父とされる。)の息子であるという意味で、「若宮」として、「若宮神社」と名乗っているところもある。

 ところで、大久佐八幡宮の御祭神となっている大鷦鷯命(おおさざきのみこと、仁徳天皇)・誉田別命(ほむたわけのみこと、応神天皇=仁徳天皇の父とされる。)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后=応神天皇の母とされる。)のことについて、簡単に触れてみる。

 神功皇后・応神天皇・仁徳天皇のいた時代は、日本書紀や古事記による伝承以外に確かな文献のない時代にあたる。中国では、266年(3世紀)に邪馬台国の女王壱与(いよ 卑弥呼の後継者)が中国の晋に使いを送ったという記事を最後に、5世紀にいたるまで、日本に関する記事を書いた歴史書が現在までのところ発見されていない。

 この「空白の4世紀」といわれる時代に、日本では、大和朝廷が政権を握った。大和朝廷は、大きな古墳を畿内を中心にして発生させ、当時日本よりも進んでいた朝鮮半島の技術者(渡来人)の獲得や資源の確保のために、朝鮮半島にまで進出した。神功皇后は、神話の世界では、応神天皇を妊娠したまま朝鮮半島に出兵し、朝鮮半島の広い地域を服属化に置いたとされている。

 また、応神天皇は、古事記や日本書紀の記述によれば、朝鮮半島とのつながりが深い天皇であった。後世、神功皇后と共に八幡神として崇められ、清和源氏などの武士から武神として崇敬されるのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)とは違ったこのような背景が武士の心に突き刺さるからなのではないだろうか。

 また、仁徳天皇は、難波の堀江の開削や茨田堤の築造などの大規模土木事業を日本で最初に行った人物であると言われている。大規模前方後円墳として日本に残っている仁徳天皇陵(大仙陵古墳)を見ると、なるほどと納得させられる。なお、仁徳天皇のことを指す大鷦鷯命(おおさざきのみこと)の鷦鷯(さざき)とは、すずめのように小さい鳥のことで、俳句では冬の季語とされている。

 「空白の4世紀」と言われた時代は、大和朝廷が強大な権勢を誇っていた時代であると言える。しかし、「空白の4世紀」以後の時代、つまり、仁徳天皇以後の時代(5世紀)に入ると、大和朝廷内部では諸豪族の対立が激化し、朝鮮半島経営には失敗が生じて、大和朝廷の体制は崩壊に向かって進んで行ったのであった。

<参考文献>

「世界と日本の神々」松村 一男監修 (株)西東社 2006年12月発行

「日本歴史」瀬山 健一著 玉川大学通信教育部 平成3年(1991年)3月発行
「新しい歴史」(株)浜島書店 2001年12月発行

「小牧 中学校編」小牧市教育委員会 2007年(平成19年)3月発行

「大久佐八幡宮伝記 千百余年の歴史と文化を探る」波多野 孝三著 平成13年7月発行

「小牧の文化財 第二十集 小牧の歴史」小牧市教育委員会 平成17年3月発行

「桃花台ニュータウン遺跡調査報告Z」愛知県建築部 小牧市教育委員会 平成4年6月発行